両子寺(大分県国東市)前編

 

国東半島最大級の仁王像

僕が九州に住んでいるからでしょうが、

小学生の頃から国東半島の

仁王像はテレビとかで

何となく知っていました。

しかし、

そんな仁王像の中でも最大級のものが、

ここ両子寺に存在する事がわかったのは、

還暦間近になってからのことで、

国東半島の仁王像を知ってから

半世紀もの時間が経っています(笑)

仁王像へ

両子寺(ふたごじ)でのお目当ては2つ。

一つは、懸造りの奥の院で、

もう一つが仁王像です。

無明橋。

両子寺のウェブサイトには、

「この橋の下には観音様を祀っており

この橋を渡ると不思議と信仰心が

湧き起こると伝えられ、

牛や馬が渡れば落橋すると言われている。」

と書かれています。

信仰心・・・湧き起こったかな?

石段の参道脇では樹齢300年ほどの

杉の木が迎えてくれます。

この古式然とした風景だけを見ると

ちょんまげ姿の人が、

行き来しても違和感はないでしょう。

そして、お目当ての一つ、仁王像に到着。

国東半島といえば、

この仁王像の写真が有名(僕の中では)。

やっと会えたね、仁王像様。

我が家の仁王様、

いえ、

観音様(笑)と大きさの比較です。

吽形。

国東半島最大級だけあって、

存在感はものすごいものがありますね。

筋骨隆々腕。

背中もスキがありません。

江戸時代後期の作品だそうです。

案内によれば、

「石造仁王は全国的に分布しているが、

その数は大分県が圧倒的に多く、

中でも国東半島には130を超える

仁王が確認されている」

と書かれていて、

風雨によって見えにくいものの

その石造仁王の分布図もあり、

益々仁王像に興味がわいてきますね。

護摩堂へ

長い石段を上っていきます。

山門が見えて来ました。

その途中に見つけたのはこの歌碑です。

財前國男という方の歌碑です。

案内にによるとこの方は、両子の出身で、

短歌の道を極めた偉人でした。

この方との関係は全くわかりませんが、

両子寺に来る途中の道路脇に、

国指定重要文化財となている

「財前家墓地」

という名所の案内があったのを思い出し

大分出身の女優、財前直見と

その墓地は関係があるのかと思って

Wikipediaで調べたら、

何と財前直見の祖先の墓地でした。

そうだったのか~!

次回は必ず墓地に行ってみよう(笑)

山門。

門をくぐるとさらに長~い

石畳の参道が続いています。

これは相当に規模が大きな僧坊が

あった跡ですね・・・

当時の繁栄した姿のジオラマでもあれば、

より楽しめそうです。

池。

僧坊があったころは、

お坊さんたちの

癒しの場だったかも知れません。

参道はここで行き止まりで、

正面には護摩堂が見えています。

護摩堂の石垣の立派さには

驚嘆しますね。

よく見ると、少し懸造りにもなっています。

案内板。

「信の一字は 心の土台

一つひとつの 積み重ね」

有り難いお言葉です・・・

護摩堂への石段。

正面に見えるのは、書院、客殿。

香炉。

護摩堂。

護摩堂を拝観する前に

鐘楼に上ってみました。

名前は「平和の鐘」。

妻のひと撞きは、

平和を呼んだでしょうか・・・

ここから拝観。

全国でも稀有な神仏混合の寺と

案内に書かれています。

沢山の石仏たち。

五重塔。

道祖神(さいのかみ)

ここから奥の院までの間には、

いくつかの見どころがあります。

左側に見えるのが道祖神。

男女のお坊さま?が掘られた石碑。

案内では、長野県に多いそうです。

縁結びにふさわしいデザインの絵馬。

やはりハート型は譲れませんね(笑)

金田一京介の歌碑

僕らの世代ならば、

国語辞典でおなじみの

言語学者、金田一京助が

両子寺を参拝した時に詠んだ歌があります。

左側が金田一京助の歌碑。

「山川の音は父母の愛に似て

変わることなし たゆることなし」

こう詠んだ金田一京助の

子供もベストセラー作家の金田一春彦だし、

愛があったからこそなんでしょう・・・。

そしてこの後は、大講堂を通り、

奥の院へと進みます。

 

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