蒲生忠郷公墳墓と五輪塔
思わぬ出会い
旅の2日目最後の訪問地は、
戊辰戦争で亡くなった、
長岡藩士44名の墓と
長岡藩殉節の碑が建つ「本光寺」。
順調に場所も確定でき、
無事到着したかに思えたところ
僕たちが訪問した本光寺は、
長岡藩士のお墓とは無関係な、
「も一つの本光寺」・・・(汗)
時間も遅いということで
長岡藩士の方々には
申し訳ないものの墓参は断念。
ところが、僕たちはここで、
別のお墓の主に呼ばれていたのです・・
僕の詰めの甘さが招いた
思わぬ出会いに、
嬉々とした僕たちでした(笑)
蒲生忠郷公墳墓と五輪塔
長岡藩士44名の墓を目指し、
まずは本光寺の本堂へ。
何となく目指す墓地が無さげな
雰囲気を感じつつも本堂を参拝。
やはりここには無さそうなので、
裏側や周辺部を探してみることに。
そして、
本光寺のお隣で見つけたのが、
蒲生氏郷の孫、
会津三代藩主蒲生忠郷の墓です。
生垣も綺麗に整備され、
大切にされている感満載の墓所。
案内を要約すると
以下になります。
「蒲生忠郷公は、慶長十七年(1612)
十歳にして会津六十万石の城主となった。
その後、寛永四年(1627)
疱瘡のため二十五歳の若さで亡くなり、
この地に葬られた。
墳墓は高さ約一間半ほどの円形状の盛土で、
周囲は広く渠が繞らされていたという。
五輪塔は同じ寛永四年に作られたもので、
高巌寺門前にあったとされるが、
土地区画整理で、墳墓の大部分が削られ、
五輪塔も墳墓上に移し、
現在の形となった。」
こんな偶然に
蒲生忠郷さんと出会うとは、
二人してビックリですよ!
墳墓&五輪塔へ。
参拝。
この前日、忠郷公のお父様、
蒲生秀行公の御廟に参拝していたから
「息子のお墓もお参りしてちょ!」
な〜んて
導いてくださったのかもですね(笑)
改めて見ると、
高さは3mはあるかという
かなり大きな五輪塔です。
蒲生忠郷公との
偶然のご縁を導いて下さった
本光寺さんに、
感謝を込め、改めてお礼の参拝。
ただただ、あり難しです・・