鍋島直正の墓(鍋島家春日御墓所)

 

猫ちゃんの日(笑)

鍋島家春日御墓所入口で、

僕たちを出迎えてくれたのは、

こちらの猫ちゃんです。

猫ちゃんは建物の縁側で、

まったりされておりましたが、

僕たちが来たのを察知してか、

一旦こちらを見つめ、

怪しいものでは無いとわかると?

再度まったり(笑)

この日、最初に訪問した本行寺でも

猫ちゃんの歓迎に、

歓喜した僕たちでしたので、

この日を「猫ちゃんの日」と

名付ける事にします(笑)

墓所へ

佐賀大和インター近くにある

肥前国庁跡歴史公園から

鍋島家春日御墓所までは車で約8分ほど。

山麓の参道口に到着。

標柱の「鍋島家墓地入口」の表示で、

ここで間違いない事を確認。

駐車場は墓所の真ん前。

案内板は昭和48年(左)と

平成3年のものとの二つありますが、

ここでは新しい方を書き出します。

「佐賀藩主鍋島直正・直大なおひろの墓」

「鍋島直正(文化十一年(1814)〜

明治四年(1871)は、

第十代佐賀藩主で、

その座にあること三十余年、

古賀穀堂の助言を得て、

保守的弊習をいましめ、

人材登用のために弘道館を拡充した。

また長崎警備の役を

積極的に利用して蘭学導入に乗り出し、

西洋文物の輸入をはかり、

反射炉を築造して大砲を鋳造、

三重津(川副町)に

造船所・海軍伝習所を開いて

諸藩中最大の海軍力を育成した。

また藩の財政再建に努め

薩摩・長州と並ぶ雄藩に育てあげ、

幕末諸藩中の明君とうたわれた。

明治維新後は新政府の枢機に参画し、

参与・蝦夷開拓長官などを歴任した。

直政公は、生前この地をこよなく愛し、

夏は避暑をかねよく訪れたことから

この地を御墓所と定めた。

鍋島直大は直政の長男で最後の佐賀藩主、

のちイタリア公使等を歴任した。

直政の墓の背後には、

幕末の肥前有数の歌人で、

側近として仕え主君の死に会い

殉した古川松根の墓もある。」

佐賀の七賢人などと言われるように、

佐賀藩は多くの偉人を輩出していますが、

全ては藩主、鍋島直正公あってのもの。

トップの行動が、

部下の動きに連動するのは、

藩だけでなく、

国家も小さな会社も皆同じでしょう。

墓参

ここからは山登りです(汗)

墓域内へ。

ここで冒頭書いた猫ちゃんに遭遇。

まずは階段。

なんか会津藩主松平家墓所みたく、

めっちゃ登らないと

辿り着けない雰囲気に僕も妻も

一瞬身が凍りつく気が・・(笑)

程なくして燈籠を発見。

お〜なんかもうすぐな感じです!

墓所前の鳥居が見えて、

助かった〜というのが本音です。

僕たちは、

お墓参りはしたいけど、

山登りはしたくないという、

めっちゃ我儘な夫婦なのですから(笑)

この岩の形、

可愛らしい熊さんが

振り返っているように見える・・かな?

もっとも、熊がいない九州だから

森の中で熊さんの事を

可愛らしく思えるのでしょう(笑)

最後の石段。

鍋島家春日御墓所に到着。

鍋島直正の墓

鍋島家の墓は神道式です。

「鍋島家奥津城おくつき」。

ここが家全体の参拝所と拝察し、

まずはここで皆様に参拝。

一番奥の鍋島直正公の墓へ。

石参道をまっすぐ行くと直政公、

右に曲がると直大さんのお墓です。

綺麗に手入れされた墓前。

直政公に参拝。

ドーム型のお墓は神道式での

スタンダードのようで、

谷中霊園にある徳川慶喜のお墓

同じ感じだったのを思い出します。

直政公の左後ろの墓石。

「藤原朝臣室源氏墓」。

正室のお墓でしょうか・・・

よく分からず参拝(汗)

こちらも同じ文言で、

とりあえず(汗)参拝。

鍋島直正公の墓の背後に

寄り添うように建つ、

殉死した古川松根の墓にも参拝。

鍋島直大の墓

次に直政公の息子、直大さんのお墓へ。

参拝。

お父様と規模はほぼ同じですね。

直大夫人「榮子ながこ」さんのお墓に参拝。

こちらも「夫人」と書かれていますね・・

よくわかりませんが(汗)参拝。

ここまでで、

鍋島家春日御墓所のお参りは完了です。

下山。

門の手前では、

あの猫ちゃんが見送ってくれました!

もしやあの猫ちゃん、

直政さんの化身だったかも?

 

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