平尾山荘(福岡市)野村望東尼胸像

 

有効活用

平尾山荘前の歩道を歩いていた時、

「あれ見て!」と、

妻が指差したのがこちらの電柱です。

「高杉さん、平尾山荘へようこそ!」

なんだか、

「デニーズへ ようこそ!」(笑)

みたいに歓迎感満載で、

テンション爆上がりですよ!

そして以下のような説明もあります。

「長州の高杉晋作が、筑前に来たのは、

元治元(1864)年秋。

晋作は長州藩で実権を握った

反対勢力(俗論党)に追われ、

筑前藩士中村円太らの計らいで、

ここ平尾山荘に匿われることとなった。」

さり気なく平尾山荘とは何だったのか、

全て語っていますね(笑)

そして、この反対側も見逃せません。

「冬ふかき雪のうちなる梅の花

埋もれながらも香やは隠るる」

「望東尼は、梅の花の香りになぞらえて、

心身ともに疲れ、落ち込んでいた晋作を

つよく励ましました。」

こちら側では、

望東尼と晋作の同志としての絆が

いかに強かったかを知ることが出来ます。

更に、

下側の住所表記に目をやれば、

「ここは平尾五丁目

(当時の地名/平尾村向陵)」

このように記されていて、

江戸時代末期、

ここは鬱蒼とした森の中にあり、

望東尼の平尾山荘時代の歌を集めた

「向陵集」の名前の由来までもが

理解できるのです。

電柱の有効活用ということでは、

日本一かも知れませんね(笑)

野村望東尼胸像

復元された草庵を散策後、

望東尼さんの胸像へ。

山荘右側から胸像への道。

山荘左側から胸像への道。

要するに胸像は、

山荘の真ん中あたりに

建っているという事です。

ご対面。

正面。

アップ。

胸像の存在を知ったのは、

この3ヶ月ほど前、

志摩歴史資料館を訪問した時、

たまたま開催されていた

野村望東尼の企画展でのことです。

こちらがその企画展の展示です。

展示されたものは胸像の原型で、

この原型を元ににして、

平尾山荘と姫島の二ヶ所に

望東尼さんの銅像が、

建てられています。

胸像のアップ。

以下、パンフレットの抜粋です。

「望東尼胸像は昭和43年8月に建立。

製作者は原田新八郎、寄贈は木原渚。

大変厳しいお顔ですが、

花鳥風月を愛でる優しい方でした。」

胸像台座の裏面。

「うき雲のかかるもよしやもののふの

大和心のかずにいりなば」

ここからも引き続きパンフを引用します。

「私に嫌疑がかけられるのも

良しとしましょう、

国の行く末を憂う志士たちの仲間に

尼である私が入れて貰えるのであれば。

(古賀龍一郎 記)」

この歌は、

高杉晋作の辞世の句、

「おもしろきこともなき世をおもしろく」

これに続けた望東尼さんの下の句、

「すみなすものは心なりけり」

(全ては自分の心持ち次第だ)

これと共通するものを感じます・・・

望東尼さん、世の中というものを

既に達観されていたんでしょう・・か。

背中から。

庭散策

ここからは庭の石碑などを散策します。

裏山。

「平尾山荘遺址之碑」

背面の漢文は読めませんが、

明治四十一年三月と記されているので、

草庵を再建した時のものかと

推定されます。

小祠。

「小祠の石碑」

案内を書き出すと

以下になります。

「祠(ほこら)の中には、

他の志士たちに先んじて命を落とした二人

(平野国臣、中村恒次郎)の歌(※)を

石に刻み、庭に祀ろうとしましたが

遠島になってしまい、

家人が庭に埋めました。

明治42(1909)年の

庵の再建と共に有志により掘り出され

祠に祀ったと伝えられています。

平野国臣

文政11(1828)年生れ

月形洗蔵と共に

筑前勤王党のリーダー的存在。

元治元(1864)年

7月20日京都にて没。

※大君に ささげあまりし我いのち

いまこそすつる 時は来にけり

中村恒次郎

天保12(1841)生れ。

兄、円太の影響を受け、

元治元(1864)年脱藩、

忠勇隊に参加し、

同年7月禁門の変で戦死。

※兼てより つかふる君の命ぞと

思いし我身今ぞささぐる」

扉を開けて中の石碑を参拝。

確かに歌が刻まれていますね・・

資料展示室

次に資料展示室へ。

僕たちが訪問した11月9日は、

ちょうど張り紙の左端に記された

「野村望東尼真筆展」の最終日で、

望東尼さん本人の書を拝見できたのです。

撮影は禁止なので、

画像はありませんが、

「福岡平尾望東尼会」の方々の案内と共に

望東尼さんの優しい文字を拝見し、

また掛軸のセンスも素敵で、

僕も妻も大いに感動させていただきました。

展示室へ。

入室。

写真が無いので、

いただいたパンフを紹介します。

平尾山荘の変遷や催事など。

「平尾を愛した女流歌人・勤王家

野村望東尼」

以下、全文です。

「野村望東尼は、

今からおよそ二百十年前の

文化三年(1806)九月、

福岡・谷御厩後

(おんまやのうしろ・現赤坂3)に、

福岡藩士浦野勝幸の娘として生まれ、

名を「もと」といいました。

若い頃は利発で器量もよく

「ジョウモンのシャレモン」と

言われたそうです。

17歳で福岡藩士に嫁ぎますが、

半年余りで破局を迎えました。

24歳で同福岡藩士野村貞貫の後妻となり、

四子をもうけますが、

皆幼くして亡くなりました。

先妻の子三人も早死にするなどの

不幸にも見舞われました。

27歳の時に夫と共に、

福岡の歌人・大隈言道に入門しました。

40歳の時に、夫の隠退を機に、

夫婦して平尾村向陵

(むこうがおかー現在地)で

念願の隠居生活を始めました。

これが平尾山荘で、

ここで詠んだ歌が歌集「向陵集」に

収められています。

 

さて、江戸時代は長く鎖国状態が続き、

日本は泰平の安眠の中にありましたが、

1800年代になると、周辺海域に、

諸外国の大型船が出没するようになり、

日本に開国を迫ってきました。

徳川幕府は、相手の圧力に屈して

米、英、蘭、露国などと

和親条約を、更には勅許を得ずに

日米修好通商条約に調印してしまいました。

それに対して外国勢力を追い払おうとする

「攘夷」論と天皇を尊ぶ

「尊王(勤王)」論とが結びついて

尊王攘夷運動が起こり、

世上が騒然となり、京都・大阪を中心に、

朝廷、幕府、各藩による

権力のせめぎあいが始まりました。

 

安政六年(1859)五十四歳の時、

夫が亡くなり、悲しみの中で得度剃髪して

「招月望東尼禅尼」となりました。

二年後、かねてから夢見ていた

京坂への旅に出ました。

御所を拝して天朝への崇敬の念を

一層強くするとともに、

幕藩体制の衰微ぶりを間近に観察するなど、

幕末の風雲急を告げる中に身を置いたことで、

強い憂国の情を抱くようになりました。

この旅が、望東尼を「勤王」に

目醒めさせるきっかけになったことは、

帰藩後の行動や歌の内容が、

それ以前と変わったことからも

言えるでしょう。

自分の意思を貫いて、社会に貢献する

「勤王家野村望東尼」が誕生しました。

 

勤王家としての活動の第一は、

上京する志士たちを京都で知り合った

勤王商人・馬場文英らに紹介し

旅先での世話を頼んだこと、

第二は馬場と手紙を往復させて

福岡藩の志士たちに

中央の貴重な情報を知らせたこと、

第三は平尾山荘に平野国臣など

九州諸藩の志士をかくまい、

鼓舞激励したことです。

いわば望東尼は後方支援的な

役割を果たしたことになります。

長州の高杉晋作は藩内の

俗論派台頭で身の危険を感じて

福岡に逃亡してきた時、

10日間余り平尾山荘に潜伏しました。

高杉は望東尼に励まされ、

帰藩後まもなく

奇兵隊を率いて決起を起こし、

藩論を討幕に向けて統一し、

明治維新に大きく貢献しました。

 

現代と比べて

女性への制約が多かった時代に、

精一杯生きた望東尼でした。

慶応元年(1865)六十歳の時、

乙丑の獄に連座し姫島に流された後、

高杉の手配によって救出され、

長州に移りました。

そして下関で高杉の死を看取り、

慶応三年(1867)十一月六日、

三田尻(防府市)で維新の成功を祈りつつ

亡くなりました。享年六十二。

参考資料:

谷川佳枝子著「野村望東尼」・ほか」

望東尼さん、

不幸な時代も多くあったようですが、

やはり、

「すみなすものは心なりけり」

ですから他人が人の幸不幸を

決めるものではありませんね(笑)

平尾望東尼会だより第2号。

定期的にこのような会報を

発行されているのは、

大変かとは思いますが、

やはりこれも

「こころなりけり」(笑)

他人が勝手に大変と断じては、

失礼かも知れません。

裏面。

望東尼さん、

市川團十郎から目を付けられる?

ほどのお美しい方だったようです。

平尾望東尼会だより第3号。

裏面。

望東尼さんゆかりの地で、

サミットも開催されています。

平尾望東尼会だより第4号。

糸島志摩望東尼慰霊祭並びに

野村望東尼サミットのリポートが

記されていますが、

「昼食は、姫島の郷土料理で、

鯖の押し寿司、貝そうめん、

魚(ぎょ)ロッケなどでした」

この部分にしか

目がいっておりません(笑)

裏面。

平尾小学校6年生は、

2日に渡って、

望東尼さんについての研修と

出前授業を受けるとは、

正直、驚きました!

さすが地元ですね。

最後に草庵の前にてツーショット完了。

来春の草庵リニューアルが楽しみです!

 

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