弘前八幡宮(弘前市)感銘編

 

毅然とした「おもてなし」

なんだか相反するような

「毅然」と「おもてなし」という

ちょっとギャップがある言葉。

だが、

弘前八幡宮のこのギャップ萌えに、

僕たち夫婦は見事に

ハートを射抜かれたのです。

そんな感銘を受けた思い出の数々、

忘れる前に記録しておきます(笑)

手水舎

境内入って駐車場の先に

手水舎はあります。

車が停めやすいのも有り難し。

手水舎。

周囲との段差には白線が引かれ、

「足もと注意」と喚起されています。

手水の作法は日本語、英国、

台湾語、韓国語の四カ国語と親切。

そして、

今時珍しくはない手水舎の人感センサー。

でも「人感センサー」とこんなに

分かりやすく書いてあるのは、

ちょっと珍しいでしょう。

さらに珍しいのが、

「※手水舎で清める方以外は

出入りをご遠慮ください」

この一言です。

その昔、

多くの参拝者が使う柄杓で、

犬に直接水を飲ませるという

衝撃的な光景を見た僕は、

手水舎に関してのこの文言、

人並み以上に感動してしまいます。

はぢまんさま通信

弘前八幡宮が毎月発行されている

「はぢまんさま通信」。

これも素晴らしい内容なのですよ!

「はちまんさま」ではなく

「はぢまんさま」という

温かさ溢れる表現に

もうぞっこんです(笑)

恐らく津軽弁で発音すると

「はぢまんさま」と濁るのでしょう。

今度からどこに行っても

「はぢまんさま」って

言ってしまいそうです(笑)

内容は至って

為になるものばかりですが、

そんな中、

「おもしろ名言」は必見です。

書き出すと

「18歳と81歳の違い

「恋に溺れるのが18歳

風呂で溺れるのが81歳

道路を暴走するのが18歳

道路を逆走するのが81歳

心がもろいのが18歳

骨がもろいのが81歳

偏差値が気になる18歳

血圧・血糖値が気になる81歳

まだ何も知らない18歳

もう何も覚えていない81歳

自分探しをしている18歳

皆が自分を探している81歳」

このようになります。

自分だけは違う!

な〜んて思いませんよ(笑)

来た道、

そして

これから行く道なんですからね!

絵馬

弘前八幡宮は「戌年」と

「亥年」の人にとって

最上級のご利益がある

神社とされています。

パンフレットを抜粋すると

「八幡大神即ち応神天皇は、

皇紀八六〇年(西暦二〇〇年)

十二月(戌の月)十四日(亥の日)の

御誕生で、御寿命は百歳を越え

御運誠に目出度き御生涯と言われ、

津軽地域の「一代様仰」において、

戌(いぬ)年・亥(いのしし)年生まれの、

生涯の守護神として崇敬されております。」

このようになります。

拝殿左側の絵馬に注目。

辰年の大絵馬、

僕たち好みの絵柄ですが、

「いぬ歳 ゐ歳一代様」と

ちゃ〜んと記されているんですね!

「辰歳」に忖度なし(笑)の絵馬、

素晴らしいと思います。

格子戸

弘前八幡宮には、

拝殿から本殿への境目に

「格子戸」があります。

この格子戸の手前にあるのが、

こちらの案内板です。

「※入場には許可が要ります」

これも素晴らしいじゃないですか!

毅然とした文言ですが、

逆に言えば、

許可さえ頂ければ、

貴重な重要文化財を拝察することも

出来るのですからね。

もちろん、

僕たちも許可をいただき、

格子戸を潜り抜けております(笑)

わんこ&うりぼう

格子戸のすぐ左に鎮座するのが、

「戌年」と「亥年」の縁起物です。

狛犬・・ではありません。

案内を書き出すと

以下になります。

「「はちまんわんこ」

「はちまんうりぼう」は

弘前八幡宮旧二の鳥居を解体した

木材により製作されたものです。

長い間神社を守って参りました鳥居が、

一代様であるいぬといのししとなり

新しい形でよみがえりました。

本体:ひば/積層削り出し

目・鼻:りんごの木/象眼細工

平成二十四年十月吉日」

いや〜このストーリー、

泣けますね・・・

「はちまんうりぼう」

青森名産、りんごの木の鼻が

可愛らしくて仕方ありません!

亥年生まれの僕たちには、

もはや神様にも見えてきます(笑)

「はちまんわんこ」

おちょぼ口がチャーミング〜!

わんこ&うりぼうの背後には

古い鈴が鎮座しています。

「監視カメラが作動しています」

ここが「毅然ポイント」(笑)

どこまでも素晴らしいな〜!

神輿

次は神輿です。

ちょっと渋いデザイン。

額入りの立派な案内付きです。

内容を要約すると

「元禄時代初め、播州赤穂藩が

京都随一の神輿師に

神輿を注文していたが、

松の廊下事件(忠臣蔵)が起き、

神輿どころではなくなり

それを弘前藩主、津軽信政公は、

その神輿を譲り受け、八幡宮に寄進した。

明治二十五年の拝殿の火災で、

惜しくも焼失したが、

明治四十四年、原型のまま再建された。」

高照神社で吉川神道式の

立派な廟所に祀られる信政公、

神輿の引き取りは必然だったかも

知れませんね!

二宮金次郎像

弘前城にもありましたが、

ここにも二宮金次郎像があります。

近年、「歩きスマホ」みたいと

言われのない中傷を受け、

座り姿の金次郎像も出来ていますが、

偉人の真の姿を追うならば、

このオリジナルしかありません。

末永く残して欲しいものです・・

(続く)

 

  関連記事 - Related Posts -

 

  最新記事 - New Posts -

 

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください