2021/12/26

清洲城(愛知県清須市)前編

 

模擬天守の効能

場所も形も

史実に基づかないで建てた天守が、

模擬天守といわれる

「お城型展望台」です。

清洲城は、その模擬天守なんですが、

これがあると無いとでは大違い。

織田信長以前から、

徳川義直が名古屋に移るまで、

間違いなく存在した清洲城。

ここを知るには、

無くてはならない、

大きな存在となっています。

弁当で思い出すお城

名古屋城を出ると、

お腹が減って、

妻のテンションはだだ下がり(笑)

清洲城訪問前に何か食べないと・・

焦っていたら清洲城の少し手前、

理想の場所にスーパーを発見。

アオキスーパーにて食事タイム。

弁当買って車内で食べる、

旅の恒例行事です(笑)

僕が選んだのは味噌かつ弁当。

愛知県を満喫するなら、

やはり味噌かつは必須(笑)

そして、パッケージには、

「天然醸造八丁味噌100%使用」と

さらなる愛知アピールが!

以前、日本城郭検定で出題された、

「八丁味噌とはどの城下町の特産品か?」

という4択問題に

答えられなかった事を思い出しました。

正解は家康さんが生まれた

岡崎城」なんですけどね。

八丁味噌食ったからには、

もう忘れんぞ!(笑)

弁当見ても城を思い浮かべる・・・

もう城中毒と言っても良いでしょう。

ちなみに妻は「広告の品」、天重。

ふたりとも大満足で完食。

アオキスーパーさん、ありがとう!

清洲城・外観偏

清洲城の無料駐車場は、

お城の裏側。

まずは搦手(背後)から

清洲城を撮影。

城門を通って正面へ。

周辺案内。

近くには、信長や濃姫の銅像が建つ、

清洲公園や神社もありますが、

残された旅時間を考え、

欲張らずに(笑)

今回は、天守周辺の一択。

発掘され、五条川のほとりに積まれた、

本物の石垣。

石の積み方だけでなく、

石の下のベースとなる部分の

胴木と丸太の杭などが、

忠実に再現されていますね!

案内によると、

「復元された本石垣は、

平成八年に河川事業に伴い

実施された遺跡調査により、

清洲公園前の五条川右岸

(現地は下流200mに銘版で表示)で、

発見されたもので、清洲越直前の

本丸南側の石垣と考えられる。

石垣の基礎は、

軟弱な地盤に耐えられる様に

松材を用いた「梯子胴木」と呼ばれる

構造になっており、

石材はこの基盤の上に

「野面積み」と呼ばれる

戦国時代にかけて用いられた

技法により積まれている。」

このように詳しく書かれていて、

石垣の図面までもが表示されています。

マニアも喜ぶ細やかな案内、

こちらも素晴らしい!

顔出しパネルは基本やります(笑)

朱赤の橋と清州城、

絵になりますね~!

ちなみに橋の名前は、

「おおてはし」です。

橋の中間から天守を望む。

門前。

薬医門の両サイドには、

織田信長が桶狭間の戦勝で寄進した、

熱田神宮の信長塀

再現されています。

清洲城と歴代城主。

案内によれば、

「文明八年(1476)

尾張守護所が、下津城から清洲城に

移されたとされています。

その後、織田家の権力闘争後、

織田信長の居城となり、

その後は、長男の信忠、

二男の信雄、豊臣秀次、

福島正則、

そして、関ヶ原の戦い後、

家康の四男、松平忠吉、

家康の十男、徳川義直が

城主となり、その後、

名古屋へ城下町ごと移転し、

清洲城は廃城。」

このようになります。

門を背にして撮影。

日本庭園の先には天守。

いざ、攻城へ!

(後編に続く)

 

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