飯盛城(大阪府)千畳敷郭
合作パンフ
四條畷市と大東市、
二つの行政区にまたがる
国史跡の飯盛城のパンフレットは
両市合作となっています。
こちらは、
キャンピーだいとうで頂いた
パンフレットの表紙で、
四條畷教育委員会と
大東市が仲良く(笑)並んでいます。
城歴史などが紹介された
見開き最初のページ。
次のページの、
赤色立体地図と縄張り図。
曲輪、土塁、石垣、堀切なども表示され、
ディープなお城ファンにも
しっかり対応しているのがいいですね!
出土品などの紹介ページ。
裏表紙。
四條畷市と大東市が、
ブルーとピンクで色分けされているのが、
両市のささやかな「主張」かな?(笑)
千畳敷廓
虎口をVRで堪能後、
さらに登って千畳敷廓へ。
整備された登城コースで南丸へ。
南丸の平坦地に到着。
オブジェ?ベンチ?
謎の構造物を発見。
戦国時代の遺構ではなさそうです(笑)
お〜これはなんか良い感じ!
ビール缶で作った風車、
歓迎感満載の飯盛城ですよ!
愛飲するヱビスビールの風車も発見。
V Rとビール缶風車のおもてなしで、
飯盛城に心を鷲掴みにされた僕たち、
ウキウキが止まりません(笑)
さらに上へ。
千畳敷廓に到着。
VRで位置確認。
案内を書き出すと
以下になります。
「飯盛城内 、最大の面積を持つ廓で、
発掘調査で、柱の礎石や、 土師器皿、
調理用具などが出土していることから
居住空間と考えられます。
この場は、文献に三好長慶が
茶会や連歌の会を催したという
記述が残されていることから、
千畳敷で催されたのでは
ないでしょうか。」
そして、VRを確認すると・・
これは・・素晴らしい!
庭園を眺めながらの茶会をする
三好長慶になった気分です(笑)
堀切・土橋
さらに山上へ。
NHKの電波塔を通過。
登ったり降ったり。
陣没勇士碑。
堀切の案内。
千畳敷廓のある南エリアと
防御空間の北エリアを区切っています。
写真だと掘り切って無い?
みたいですね(笑)
さらに急坂を
這うように登って行くと・・・
ロープが何本も垂れている!
もしかしてこれ、
ロッククライミングか?
「ファイト・一発」(リポビタンD風)
「ファイト!」(中島みゆき風)
どっちで応援しようか?(笑)
その前に、
妻はロープに掴まっていないし(汗)
ロッククライミングを無事終え、
土橋に到着。
堀切・土橋の案内を書き出すと
以下になります。
「敵の侵入を防ぐために設けられた
尾根を分断する堀を「堀切」、
その中央部分を橋状に残したものを
「土橋」といいます。
土橋は一人ずつしか通行出来ず、
敵兵の勢いを削くことができます。
また、この土橋を切り崩せば
敵の侵入を防ぐこともできます。」
ということで、
早速、土橋を体験します。
土橋の狭さを表現する妻。
なんかパントマイムみたい(笑)
楠木正行像
飯盛山の山頂付近には、
三好長慶の時代から遡ること200年、
南北朝時代に南朝方として戦い、
飯盛山の麓、四條畷で、
幕府側の高師直と戦い戦死した
楠木正行の銅像が建てられています。
南側から行くと
まずは背中が見えてきます。
楠木正行像の傍に建つ発起人の銅像。
この方の視線の先に見えるのが、
楠木正行像です。
正面遠景。
近影。
右手に筆、左手に巻物を持つ
広目天のような出立ですね!
作者の意図は、
四天王の一角である
広目天に楠木正行を重ねたのかも
知れません・・・
またこの像は、
昭和12年に建立後、
金属供出され、
その後、昭和47年
「初代の原型」を使い
再建されたそうです。
父である楠木正成の銅像には、
金属供出を免除されたものもありますが、
息子となると、
そうも行かなかったのかな・・・
横姿。
後ろも隙は無し!
銅像の台座前に掛けられた、
楠木正行を祭る四條畷神社の絵馬、
菊水紋がテンション上げてくれます。
テンション上がった所で
妻は弓を引く妻とともに
ツーショット。
昭和の遺構
楠木正行像の建つ広場の北端に、
いわゆる「廃墟」が残されています。
屋根には、
「國威宣楊」
「四條畷警察署管下警防團
結團記念建之
昭和十四年七月七日」
このように刻まれています。
恐らくこれは
「国旗掲揚台兼見張所」
だったのでしょう。
南北朝、戦国、昭和と
600年の時を超え、
悠久の歴史を感じられるのも
飯盛城の大きな魅力と言えそうですね!
(続く)