浄瑠璃姫の供養塔(愛知県岡崎市)
浄瑠璃の起源
岡崎城の大手門を出て、
駐車場に戻る途中、
たまたま発見したのが、
浄瑠璃姫の供養塔です。
正直、暑さで疲れていたので、
パスしようかとも思いましたが、
欲張りな性格(笑)の僕は、
とにかく行ってみる事に。
そして知ったのが、
「浄瑠璃姫」というのが、
日本の浄瑠璃の起源だということ。
正直、浄瑠璃なんて、興味も無く、
気にもしていませんでしたが、
実際に「起源」なんて言われると、
シャキッとなるもの(笑)
Wikipediaの「浄瑠璃」を調べると、
次のように書かれています。
「浄瑠璃御前(浄瑠璃姫、
もしくは三河国矢矧宿の遊女)と
牛若丸の情話に薬師如来など
霊験譚をまじえたものを語って
神仏の功徳を説いた芸能者に
あるとするのが通説であり、
「浄瑠璃」の名もここから
生まれたものである。」
牛若丸は源義経のことですが、
義経の女性と言えば、
妾の静御前が有名で、
僕はそれしか知りませんが、
もてる男は、
各地に女がいたという証拠かな(笑)
案内板
供養塔の前には、
「浄瑠璃姫の墓」と書かれた
かなり古そうな案内板があります。
(ここはお墓ではないようですが、
案内板に敬意を表しそのまま記載します)
セミの抜け殻が沢山ついているのが、
気になりますが(笑)読んでみました。
「薬師如来の申し子である浄瑠璃姫は
源氏の御曹司、源義経と別れた後、
恋慕の余り、菅生川に身を沈めてしまう。
姫の墓は平泉の方に向けて建てられている。
その姫の庵があったところが、
岡崎城の浄瑠璃曲輪と言われ、
瑠璃光山安西寺である。
のち、「光明院」と改められる。
通称「浄瑠璃寺」である。」
通りすがりの恋というのは、
多くは悲恋が定番ですが、
悲恋があったからこそ後世に残る、
文化も育ったとも言えます。
供養塔
鎌倉時代のものとされる供養塔です。
全景。
右手前の石碑は、
昭和18年に建立された、
地元出身の歌舞伎役者、
初代市川團蔵の
出生260年記念碑です。
立派な五輪塔ですね。
それなりの家柄がないと
こんなものは作って貰えませんから
やはり「三河国矢矧宿の遊女」では、
無い気がします(笑)
今日のお宿
浄瑠璃姫の供養塔を
後にして、この日の宿泊地、
名古屋市へ。
ベッセルイン栄駅前。
サービス、気遣いも抜群、
全てが快適で、
また泊まりたいホテルです。