2024/03/27

寛永寺・根本中堂(東京都)

 

喜多院

最初に、

根本中堂(本堂)の前の沿革から。

以下、案内です。

「旧本堂(根本中堂)は現在の

東京国立博物館前の

噴水池あたりにあったが、

慶応四年(1868)

影義隊の兵火で焼失した。

そのため明治九年(1876)から

十二年にかけて、

埼玉県川越市の喜多院の

本地堂が移築され、

寛永寺の本堂となったのである。

寛永十五年(1638)の建造といわれる。

間口・奥行ともに七間

(十七・四メートル)。

前面に三間の向拝と五段の木階、

背面には一間の向拝がある。

周囲には勾欄付廻縁こうらんつきまわりえんをめぐらしており、

背面の廻縁には木階を設けて、

基壇面に降りるようになっている。

桟唐戸(正面中央など)、

蔀戸(正面左右など)、板壁など、

すべて素木のままである。

屋根は入母屋造、本瓦葺、

二重たるきとし、

細部の様式は和様を主とする。

内部は、内陣が土間で、

外陣と同じ高さの須弥壇が

設けられている。

須弥壇の上に本尊その他の仏像を安置する。

内陣を土間とする構造は中堂造と呼ばれ、

天台宗独特のものである。

現在は仮の床が張られ、

内外陣ともにすべて畳敷になっている。」

この建物を持ってきた川越市の喜多院は、

天海僧正も一時期住職だったお寺ですが、

喜多院のサイトで知ったのは、

ここに徳川家光誕生の間があると言う

ビックリな情報です!

江戸時代初期、

喜多院が大火で焼失した後、

家光さんが、江戸城紅葉山御殿の一部を

喜多院に移築していて、

その一つが、

家光誕生の間がある「客殿」なのです。

喜多院、行くしかないでしょう!(笑)

裏参道から

行きがかり上、

裏口から境内へ入った僕たち、

まずは「目に付いた」(笑)場所から

巡ってみました。

「了翁禅師塔碑」(手前)とお堂。

お堂の屋根の端は切れてしまい、

疲れが写真に出ていますね(汗)

以下、案内です。

「了翁禅師(1630〜1707)は、

江戸時代前期の黄檗宗の僧です。

俗は鈴木氏。出羽国雄勝郡に生まれ、

幼い頃から仏門に入り、

後に隠元禅師に師事します。

諸国を巡るうち、

霊薬の処方を夢に見て「錦袋円」と命名し、

不忍池付近に薬屋を

俗甥の大助に営ませます。

その利益で難民教済や寛永寺勧学家

(図書館)の設置などを行いました。

こうした功績により輪王寺宮から

勧学院権大僧都法印位を贈られています。

宝永四年、七十八歳で没し、

万福寺塔頭天真院に葬られました。

本碑は了翁禅師の業績をんだ顕彰碑で、

生前に作られたものです。

元々建てられた場所や、

現在の場所に移築された

時期などは不明です。」

お堂へ。

この方が、

了翁禅師なのでしょうか?

確信はないものの参拝。

参拝する僕たちを

側で見守っていたネコちゃん。

本参道

次に本参道へ。

寺頭。

参道右側の鐘楼。

これも歴史ある梵鐘(銅鐘)で、

案内には、

「厳有院殿(四代将軍家綱)の

一周にあたる、

延宝九年(1681)五月八日に

厳有院殿前の鐘楼に奉献された。

明治維新以降に、

寛永寺根本中堂の鐘として、

当所に移されたと伝えられる。」

このように記されています。

巨大な手水鉢。

「元禄十一戌寅年九月吉辰」

「米倉丹後守源昌尹」

このように刻まれていますので、

西暦1698年の奉納です。

米倉昌尹をWikipedia調べると

家督を継いだ時は600石だったのが、

随時出世を重ね、

手水鉢を奉納した直後には、

1万5千石の大名にまで

なっているのです。

勝手に名付ければ、

「出世手水鉢」とでも言えそうです。

実際、

寛永寺への巨大手水鉢の奉納も

効果があったかも知れません(笑)

根本中堂へ。

参拝。

お堂の右手前には、

寛永寺の歴史紹介があります。

左下の江戸時代の根本中堂、

超巨大です。

日暮里駅方面からの上野公園の空撮。

ここが全部寛永寺だったのですよ!

右上は清水観音堂からの花見風景。

年譜には寛永二年(1625)二月

寛永寺本坊が竣工と書かれています。

来年が400周年記念なので、

ここ根本中堂にも幟が立っていますが、

年譜での注目は

元禄十一年(1698)九月です。

「寛永寺根本中堂が建立され

三日後に焼失」

何じゃ〜こりゃ〜!

そんな事があるんかいな?

いつ再建されたかは、

全く記されていないので、

モヤモヤ感は残ったままですが、

ここで合点がいったことが一つ!

先ほどの大手水鉢は、

根本中堂落慶記念に

奉納されたのですね。

お地蔵様など

最後に周辺部へ。

六地蔵に参拝。

こちらにも参拝。

旧本坊表門・根本中堂の鬼瓦。

旧本坊表門の鬼瓦。

こちらは葵の御紋が入った、

根本中堂の鬼瓦。

ここまでで根本中堂の散策は完了、

次なる目的地、

徳川家綱霊廟勅額門へと向かいます。

 

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