叶神社(西叶神社)境内社

 

やってもOK

神棚に神札を安置する場合、

伊勢神宮の神札(神宮大麻)と並べて、

地元の氏神様や、

よく参拝する崇敬神社を

お祀りするのが一般的ですが、

僕たちは違います(笑)

伊勢神宮の神札以外は、

「今年はこの神社の神札が気になる!」

こんなインスピレーションで、

毎年違う神社を選んでいます。

こんなやり方は、

邪道かも知れませんが、

以前、ある神社の宮司さんに

この方式の是非をお尋ねした所、

「それやってもOKです!」

こんな回答をいただいたので、

安心しきって(笑)

我が家の慣例となっています。

これまでの年々の出来事を考えると、

インスピレーションは、

結構良い線突いていて、

今回の「叶神社」でも

神札をいただいた数日後、

息子の結婚が決まったという

これ以上ない願いが「叶った」ので、

来年以降もこの方式は、

鋭意継続決定です!(笑)

昭洞香山君碑

拝殿で参拝後、

御社殿向かって左側の石碑へ。

「昭洞香山君碑」。

ここには案内が二つあるので、

どちらも書き出します。

「昭洞香山君碑」

「昭洞香山栄左衛門永孝は

嘉永六年六月三日

アメリカ水師提督ペリーが浦賀に来航の折

浦賀奉行所の与力で、

奉行の代理として同与力

中島三郎助と共に米艦に赴き、

応待・談判に当たった人である。

香山栄左衛門の子息・香山永隆が

父をたたえて、明治十三年二月建立。

香山栄左衛門が家運隆昌を祈念して

額縁入大型絵馬を当社拝殿内に

奉納されたものが現存している

絵馬の裏面に

姓名・家運隆昌が書かれている。」

「ペリー来航と香山栄左衛門」

「1853年(嘉永6年)6月、

マシュー・ペリー提督が率いる

ペリー艦隊が浦賀に来航した際に、

浦賀奉行所は与力の中島三郎助を

旗艦サスケハナ号に派遣して

談判をさせたものの

不調に終わりました。

次に派遣されたのが

奉行と偽って交渉にあたった

与力の香山栄左衛門です。

大柄な香山の堂々とした

風格ある態度はペリー提督らに気に入られ、

数々のもてなしを受けます。

香山はペリー艦隊に対して

長崎に行くことを求めましたが、

ペリーの意思は固く談判は平行線を辿り、

最終的には久里浜にて

将軍の名代が開国を促す

フィルモア大統領の親書を

受け取る事になりました。

ペリー艦隊は親書の返事を得るため、

翌年にまた来航すると告げて帰国しました。」

二つの案内を読むと、

「中島三郎助」の立場が、

ちょっと曖昧ですが、

Wikipediaには、

「(中島三郎助は)

副奉行と称して通詞の堀達之助を連れて

旗艦「サスケハナ」に乗船した。

その後、浦賀奉行・戸田氏栄ら

重役に代わり、香山栄左衛門とともに

アメリカ側使者の応対を務めている。」

このように記されていますので、

中島さんもそれなりに?

お役目は果たしたのかと

推測しています。

文政八年建立のもう一つの石碑。

「東西浦賀」という文字だけは

確認できますがその他は?です。

境内社

次に御社殿右側の境内社へと向かいます。

御社殿と並行する参道を奥へ。

「福寿辨在天」。

華やかな幟を見ただけで

ご利益を頂けた気分ですね(笑)

参拝。

ズームして撮影。

右側、灯籠手前の岩陰から

ひょっこり覗く狛犬が、

何とも愛らしいですね!

次なる境内社へ。

左から、

航海安全の神様・「船守稲荷神社」、

海上安全の神様・「三峯神社」、

そしてちょっと重要な「大鷲神社」

御祭神は、

日本武尊やまとたけるのみこと 弟橘比売命おとたちばなひめのみこと 天之鷲翔命あめのひわしのみこと

由緒には、

「当社は元鎮守と称し、

叶神社創立前に勧請されたと

云われております。

当社は毎年十二月十三日に

例祭(酉の市)を開催

開運熊手をお頒けいたしております。」

叶神社を創建した文覚もんがく上人が、

この場所に「目を付けた」のは、

日本武尊の東征の神話で、

夫である日本武尊が

房総半島に渡れるように

この近くの海に身を投げて、

荒波を鎮めた弟橘比売命の神話も

頭の中にあったかも知れませんね。

そして一番右が、

安産・医薬の神様・「淡島神社」です。

ここには参道が二つあるので、

まずは右側へ。

「老山福寿稲荷社」。

神社のサイトをコピペすると

「享保11年(1726)2月勧請

旧西浦賀村宮下店住民」

このようになります。

左側、「武雄神社」。

由緒には、

「弘化元年(1844)五月

旧西浦賀村字田中住民

尾島善四郎心願成就の為勧請」

このように記されていて、

隣の老山福寿稲荷社と同じく、

「住民の意思」による勧請です。

叶神社がいかに地域住民の

心の拠り所になっていたが、

よ〜く分かりますね!

次に眺望が良いとの事前情報で、

石段を登ります。

結構、尻に来ます(汗)

金毘羅権現社に参拝。

そして、眺望は・・・

お〜素晴らしい!

対岸の東叶神社も見えていますね!

東岸の渡船場から渡し船が出航。

ズームで撮影。

実にのどかで、癒されますな〜!

そして、

ここで妻が発見したのが、

左奥に屋根が見えているお寺です。

名前は「東林寺」といい、

ここには冒頭に書いた、

中島三郎助のお墓があり、

僕たちは後ほど参拝しています。

動画でも撮影。

湾口の向こうには

千葉県、房総半島までもが見えています。

御朱印と神札

参拝を終え、社務所へ。

僕たち好みの干支みくじのデザイン。

元気一杯の御朱印、

宮司さん、ありがとう!

現在神棚にて鋭意活躍中(笑)

最後にデカイ井戸を発見。

一の鳥居から渡船場へ。

 

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