橿原神宮(2019年夏旅)
レンタカーの利便性
今回の旅は、新大阪から3日間、
レンタカーの軽自動車での移動となります。
それにしても日本のレンタカーは、
何故こんなに安いのでしょうか?
車体価格100万円以上もする車が、
1日使っても5.000円もしないとは、
不思議だしラッキーです(笑)
橿原神宮へ
新大阪駅から1時間半、
まず目指すのは奈良県橿原市に
鎮座する橿原神宮です。
新大阪から大都会の都心部を走るのは、
車も少ない地方居住者の僕には、
正直怖かったのですが、
後から考えてみると、
行きよりも帰りの方が
はるかに怖かったというのが感想です(笑)
橿原神宮の駐車場に停めて散策開始。
御由緒。
明治時代、神武天皇が
即位した橿原宮跡に建立された
広大な敷地を持つ神社です。
一の鳥居あたりで写真を撮っていると
鳥居横の守衛さんが声をかけきて、
一の鳥居の話や、
橿原神宮の見どころを
ユーモアたっぷりに楽しく案内してくれ、
おまけに、記念のシャープペンまで
いただいたのです。
いきなりのサプライズな歓迎ぶりに
二人して超感動!
シャープペンには、
「橿原神宮 参拝記念」の文字が。
心に残る記念になりました!
拝殿へ
守衛さんからの歓待の余韻が
冷めないまま御社殿へ向かいます。
一の鳥居。
今年建て直されたそうで、
笠木と島木は昔のままを使い、
その下の貫、柱はカナダ産の檜で
新調しています。
この事は、守衛さんから聞いたのですが、
その説明をする時、
「新しい檜はどこから持って来たでしょう?」
と話した後、突然歌い出しました・・・
「♪ラブレターフロ~ム○○○~♪」
僕たち世代ならこの曲は、
みんな知っているかも(笑)
まさか橿原神宮で、この曲を聞くとは、
神様は予想を外しまくってくれて、
楽しすぎます!
まだ木の香りがしますよとの
守衛さんの言葉を思い出し、
こんなポーズでも撮影。
カナダの香り?、
檜の香りが、していました(笑)
後ろを振り返り撮影。
二の鳥居手前の石橋。
二の鳥居は新しいものと
取り替えるため撤去中ですが、
工事の内容が案内されていました。
手水舎。
南神門広場の南にある深田池。
時間の都合で、散策は出来ず、
ここからすぐに社殿へ向かいます。
南神門。
神門の横には、
紀元二千六百七十九年と
「皇紀」が書かれているのが、
いかにも初代天皇を祭る
神社らしいものですね。
外拝殿敷地。
南神門入ったところの
社務所で、御朱印を授与していただき、
その後参拝へ。
外拝殿。
守衛さんから
「ぜひ見てください」と
勧められていた大きな絵馬。
僕たち二人とも亥年生まれなので、
タイミングは最高でした(笑)
外拝殿から参拝。
奥に見えるのは、内拝殿と回廊で、
二月の紀元祭の時、この広場は
数千人の参列者で埋め尽くされるそうです。
いや~橿原神宮、
とにかく規模が大きくて圧倒されます。
内拝殿の上には、
幣殿の千木が見えています。
こちらも守衛さんから
教えて貰った、
美智子皇后陛下歌碑。
こちらもまた守衛さんの
お勧めの「松」。
この松の木は、今(令和)の
天皇陛下が生まれた年に
植えられたものだそうで、
見るからに上品な枝ぶりに成長しています。
記念のツーショットも撮影完了。
妻の頭に絵馬のイノシシが
乗っかっています(笑)
若桜友苑へ
橿原神宮に来て、
最初に守衛さんと出会っていなければ、
こんなにスムーズで楽しい散策は
出来なかったでしょう。
人との出会いが苦手な(笑)僕ですが、
やはり出会いによって、旅の中身も
充実度は変わって来ます。
この若桜友苑もそまた、守衛さんの
アドバイスで訪問できたのです。
北神門から外拝殿敷地を出ます。
外から見た北神門。
このマップも守衛さんから
いただいたもので、重宝します。
畝傍山登山口。
登山はしません(笑)
「海軍甲飛十三期生
殉国の碑建立地」、
「航空母艦瑞鶴之碑
この奥五十米」
この2つを含む慰霊の場所が、
若桜友苑になります。
このポールと植木が殉国の碑、
瑞鶴の碑かと思ってしまい、
何枚も写真を撮ってしまいました(汗)
まさか、
ポールのはずはないですよね(笑)
少し行くと古墳があって、
その上に神社があります。
池田神社。
若桜友苑の由来。
海軍甲飛十三期生が、
特攻のため乗った飛行機などを紹介。
戦争末期、日本には飛べる飛行機が
少なくなり、練習機など旧式の
ものまで使ってアメリカの近代兵器に
向かっていったのでした・・・
畝傍山を背景にした苑内。
展示された絆の錨。
戦捷紀年献樹木などの石碑。
海軍甲飛十三期生
殉国の碑協力者名。
右が、
海軍甲飛十三期生殉国の碑、
左が、
航空母艦瑞鶴之碑。
練習機の「赤とんぼ」が英霊を
慰めている気がしてなりません・・・
昭和19年10月25日、フィリピン近海、
エンガノ岬沖海戦で沈んだ
空母瑞鶴乗組員の慰霊碑。
艦内神社が橿原神宮だったのか
どうかは分かりませんが、
何かの関連があってここに慰霊碑が
建てられたのでしょう。
これで、橿原神宮の参拝は完了です。