2024/11/18

心清水八幡神社(会津坂下町)後編

 

戌亥歳一代守護

心清水八幡神社は、

戌亥歳一代守護の神様。

そして僕たち夫婦も亥年生まれ(笑)

何故に戌亥のみが特別待遇なのかは、

以下の理由によるものだと思われます。

「八幡大神即ち応神天皇は、

皇紀八六〇年(西暦二〇〇年)

十二月(戌の月)十四日(亥の日)の

御誕生で、御寿命は百歳を越え

御運誠に目出度き御生涯であった」

これは同じ戌亥歳一代守護である

青森の弘前八幡宮の由緒で

見つけたものですが、

これであれば、

5千社近くもある全国の八幡神社は

み〜んな、

僕たちの守護神で、

戌年・亥年生まれの人みんな、

超ラッキーという事になりますね!(笑)

手水鉢

吉田松陰遊歴の碑を見た後は、

本殿参拝へと向かいます。

参道入口。

木製の両部鳥居、

めっちゃ渋いな〜!

しかも周囲の杉の木に溶け込んで、

コーディネートも完璧ですね。

切妻屋根の重厚な手水舎。

自然石の手水鉢。

竹筒から流れ出る山水が、

鉢を満たし、

滝となって流れ落ち、

地面に吸い込まれていく・・

表現が大袈裟ではありますが、

横山大観画伯の超大作、

「生々流転」を彷彿とさせてくれます。

アジサイの花が浮いているのか、

生えているのか、

摩訶不思議な光景に、

いっそう心を打たれ、

見ているだけで癒されまくりです。

拝殿

ここで案内を確認。

「御祭神は、

応神天皇ファミリーと比売大神。

天喜三年(1055)六月、

源頼義、義家公が、

石清水八幡を勧請し

奥州征伐の戦勝を祈願。

歴代領主からの崇敬も厚く、

現社殿は、江戸時代末期の建立である。

創建時、義家公が神泉で禊を行った際、

「心清々し」と発せられたので、

「心清水八幡」と称える。」

超訳するとこのようになります。

木漏れ日が気持ちいい境内。

拝殿。

こちらでは縁日が卯の日という事で、

卯年生れの守り神でもあるんですね!

軒下の彫刻に注目。

虎でしょうか・・

龍も繊細です。

こちらも虎かな?

参拝。

本殿

先に吉田松陰遊歴の碑を

案内してくださった神社の女性から、

「山上の本殿が素晴らしいので、

是非、行かれてみてください」

こう案内され、山登りを開始(笑)

苔むした石段、

雰囲気ありますな〜!

途中振り返って拝殿を撮影。

真ん中の扉、

神事の時は開けられるのかな?

山上の本殿に到着。

心清水八幡神社の案内には、

「天保十一年(一八四〇年)十二月

旧社殿炎上し、

松平容保公は藩費にて御造営、

文久三年(一八六三年)に御遷宮が行われ、

本殿(奥の院)は会津盆地を一望の

翠山の山上に総欅材で

会津藩最後の建造物である。」

このように記されています。

本殿の建立は、戊辰戦争の5年前。

この時期、容保さんは、

京都守護職としての重責を果たすべく、

金戒光明寺に本陣を構え、

病身をおして粉骨砕身、

大忙しの時期ですが、

自らが差配した神社の再興が、

遠く京都の地にも

届いていたのか否か・・

容保さんの魂を宿した貴重な本殿、

末長く会津の人々を見守り続けて

くれることでしょう・・

ここから周辺を散策。

本殿向かって左側。

正面右寄りから撮影。

実にカッコいいなですね!

本殿に参拝。

向かって右側面。

ここでツーショットを完了。

僕たちが本殿にいる間、

空から見守ってくれていたトンボちゃん。

誰かの化身だったかも?(笑)

境内社

最後に拝殿前の境内社へ。

賀茂社。

丑・寅歳の守り神。

箱根社。

辰・巳歳の守り神

伊勢宮。

未・申歳の守り神。

稲荷社。

午歳の守り神。

出雲社。

子歳の守り神。

北野社。

卯歳の守り神。

若木社(おさなぎのやしろ)

御祭神は少彦名神。

春日社。

酉歳の守り神。

結局、

十二支全部の守り神が、

いらっしゃる事が判明。

参拝者全員に超お優しい、

心清水八幡神社なのでした!

 

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