金戒光明寺(京都市)プロローグ

 

出会った言葉

旅の二日目、

朝から雨が強かったことで、

旅程を大幅に変更し、

はからずも

京都市、金戒光明寺内の

「會津墓地」への墓参することに

なったのですが、

結果は、「大吉」(笑)

そんな大吉だったことを

証明してくれた言葉に

参道で出会いました。

「厄介な雨と 嘆く人

恵みの雨と 喜ぶ人」

いや〜びっくりしました!

この日、この時、

この言葉に出会った僕たち、

間違いなく金戒光明寺さんに

呼ばれたのでしょう。

そして、

会津若松の人々にも・・・

京都守護職本陣

金戒光明寺の山門の柱には、

このような額が掲げられています。

奥刕おうしゅう會津藩松平肥後守様

京都守護職本陣 舊蹟きゅうせき

松平肥後守様とは

当時の会津藩主、松平容保のこと。

この春、会津若松に旅して、

ようやく「戊辰戦争」の意味が、

分かってきました・・・

僕たちが生きている日本は、

旧幕府側に勝利した明治政府から続く国。

それは、戊辰戦争があったから

出来た国なんですね・・・

だからこそ敗者となり、

冷遇された藩や住民たちも

日本の歴史を紡ぐという大仕事に、

なくてはならない人々だったのです。

そんな幕府側の代表格として、

尊王派から京都の治安を守る

「京都守護職」という

責任重大な仕事を任されたのが、

松平容保かたもりで、

その本陣は、

ここ、金戒光明寺に置かれたのでした。

歓迎された・・

後から写真を見返すと、

山門に不思議なものが

写っているではありませんか!

山門。

軒下部分だけに沢山の

白い点や、短い筋が見えています。

少し後に撮影すると・・・

今度は丸っぽくなっていて、

まるでオーブのようなのです。

境内側からの写真にも

軒下部分のみに写っています・・・

やはり会津若松の人々の

御霊だったのでしょうか・・・

そうだとすれば、

ありがたいものですね・・・。

會津墓地参道

ここは京都なのに、

大いに会津若松を感じられる

ちょっと不思議な場所です。

「會津藩殉難者墓所」

金戒光明寺の参道には、

このような標柱がいくつも

立っていて、

会津若松藩への想いを

肌で感じることができます。

「會津墓地参道」。

金戒光明寺への参拝は後にして、

まずは、

會津墓地への墓参へと向かいます。

(続く)

 

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