京都霊山護國神社(京都府)社殿編

 

幕末の志士の御霊を奉祀

Wikipediaによると

京都霊山護國神社の創建は

次のとおりです。

「1868年6月29日

(慶応4年5月10日)、

明治天皇から維新を目前にして

倒れた志士たち(天誅組など)の

御霊を奉祀するために、

京都・東山の霊山の佳域社を

創建せよとの詔・御沙汰が発せられた。

それに感激した京都の公家や

山口・高知・福井・鳥取・熊本などの

諸藩が相計らい京都の霊山の山頂に

それぞれの祠宇を建立したのが

神社創建のはじまりであり、

招魂社である。

靖国神社より古い歴史を持つ。」

ある意味、やはりここは、

幕末維新の「聖地」ですね。

坂本龍馬の墓を目指して

ここまで来ましたが、

何だか滞在時間が

かなり長引きそうな予感です(笑)

境内へ

坂の上にたどり着いた僕たちは、

ようやく境内へ向かいます。

社頭。

極東軍事裁判で、

東条英機以下の被告人に対し、

判事の中でただひとり、

全員の無罪を判決した

インドのパール博士顕彰碑案内ですが、

神社全体の位置関係がよく分かる

素敵な絵図ですね。

「昭和の杜」の石碑。

御由緒。

「龍馬祭」(龍馬よさこい)の案内。

龍馬の誕生日&命日の、

11月15日の斎行で、

「坂本龍馬、中岡慎太郎、藤吉の

三柱の御霊をお慰め

申し上げて参りました」

このように書かれています。

妻のツボにはまったのが、

「幕末みくじ」

単なる「みくじ」ならば引かなくても

頭に「幕末」がつけば、さにあらず(笑)

バスに乗っていた時間に

降っていた雪が溶け、

濡れて光った石畳と砂利で、

いい感じに境内が清められ、

御社殿の上には、

白い雲と青空が広がり、

何だか歓迎されている感でいっぱいです。

手水舎にて禊完了。

灯籠

拝殿前の参道両脇には

お洒落なデザインの

小ぶりな灯籠があります。

「坂本龍馬」と刻まれた灯籠。

笠には坂本家の桔梗紋が刻まれています。

左は、「中岡慎太郎」灯籠。

こちらは中岡家の家紋でしょう。

拝殿へ

ここから参拝へ。

拝殿前の狛犬。

吽形。

参拝。

「霊山招魂社」の神額。

やはり「招魂」という響きには、

ここに立っていると

日本国を守った先人や、

日本の将来を真剣に思い、

憂い、命がけで奔走し、

亡くなった志士たちの

魂を感じてしまいます。

やや俯瞰した写真。

手前が拝殿、奥の屋根が本殿。

記念のツーショット。

慰霊碑など

ここは、護國神社ですから

やはり慰霊碑などもあります。

鎮魂の塔。

聯隊の顕彰碑。

慰霊碑、顕彰碑と軍旗奉納之碑。

そして、一番右側に建てられたものは、

ビルマ(現ミャンマー国)の地図です。

平成19年慰霊巡拝地の石。

補給無しの無謀な作戦で、

戦闘よりも飢えとマラリアによって、

全滅に近い大損害を出した、

ビルマでの戦い。

白骨街道と呼ばれる撤退路には、

動けなくなった兵士達が取り残され、

その遺骨の多くは今尚、

現地に眠ったままです。

このような人を人とも思わない、

無謀な作戦を立案し

強行した上層部のエリートたちは、

戦後生きながらえた人も多く、

何とも言えませんね・・・。

幕末みくじ

境内入ったところで見つけた

幕末みくじ、引いてきました。

妻はバックと同じ黄色(笑)

これを社務所の方に渡して、

おみくじをいただきます。

妻は「小吉」の桂小五郎、

僕のは、「末吉」の高杉晋作。

大吉は坂本龍馬なんでしょうか(笑)

御朱印

みくじを引いた社務所では、

御朱印も授与していただきました。

参拝の後は、

いよいよ坂本龍馬の墓へ参ります。

 

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