京都霊山護國神社(京都府)龍馬の墓編

 

魂が還る場所・・・

京都霊山護國神社の社域には、

広大な墓地があります。

ただ、

招魂としての石碑のみのものと、

坂本龍馬や中岡慎太郎のように、

骨が埋まっているお墓とが、

混じり合っていて、

「墓地」というよりも、

やはり「招魂所」と言うのが、

しっくり来ます。

坂本龍馬の墓へ

社務所左側の入口で、

300円を支払い入場します。

キャッシュレスではなく、

キャッシュノミですよ(笑)

墓地全図。

左下に親切な案内も付いていますね。

桂小五郎=木戸孝允ですから(笑)

石段を上り龍馬の墓へ。

遂に来ました・・・

案内版。

坂本龍馬と中岡慎太郎が

近江屋で暗殺された顛末とともに、

日露戦争の時、

明治天皇の妻である、

昭憲皇太后の夢に

坂本龍馬が出てきて、

「皇国海軍を守っていますから

ご安心ください」と言ったという

逸話(脚色あるでしょうが)が、

書かれています。

ただ、この夢を持って坂本龍馬が

脚光を浴び始めたのも

間違いない事のようですので、

昭憲皇太后、

何か持っていたのかも?(笑)。

左が坂本龍馬、

右が中岡慎太郎の墓。

有名人二人の墓の左側にある

こぶりな「藤吉」の墓。

この藤吉って誰なの?

とWikipediaで調べたら、

「坂本龍馬の用心棒兼世話役」

「京都の近江屋において

龍馬を訪ねてきた来客に応対し、

案内しようとしたところ

背後から斬られ、翌日死亡。」

なるほど、

だからここに埋葬されたのですね。

お墓の右側にある二人の銅像。

躍動感、表情ともに素晴らしい。

京都の町並みを見守っているように

建てられています。

二人の墓の前には、

赤い手すりの展望所があります。

展望所からは、京都の町並みが

一望出来る絶好のロケーションで、

大河ドラマ、「麒麟がくる」でも

ここから撮った映像が流れていました。

ズームすると、

八坂の塔もこんな感じで

良く見えます。

福岡藩招魂社

ここには各藩の招魂社があり、

全部回るのは無理なので、

まずは、地元福岡藩を参拝します。

墓地群の右上に位置しています。

明治初期のものでしょうか?

「筑州招魂場」と刻まれています。

元々、招魂場からの流れで、

招魂社、そして、昭和14年に

護國神社と名を変えて来ましたが、

やはり「招魂場」というのが、

一番「魂」に近い気がしますね。

平野国臣の顕彰碑。

ここには、何故か

久留米藩の真木和泉も

合祀されています。

久留米藩の招魂社が、

ここには無いからでしょうか・・・。

桂小五郎・幾松の墓

墓地の左上の特等地(笑)には、

桂小五郎と妻である幾松の墓があります。

石段が続くと、

一気に体力消耗(笑)

案内。

吉田松陰の門下生で、

「神道無念流の達人」ながら

人を斬った事が、

一度もないと書かれています。

今なら当たり前ですが(笑)

幕末維新の頃、戦いや

身を守る為にやむを得ず

人を斬るなんて

日常茶飯事だった事でしょう。

ここに書かれていますが、

「北辰一刀流」免許皆伝の

坂本龍馬も同じく人を斬った事が

一度も無いそうです。

お墓。

手前の幾松の墓と隣合わせ。

山口藩招魂社

桂小五郎の墓から下った場所に

2つの招魂社があります。

こちらは山口藩招魂社。

桂小五郎の出身地でもあり、

お墓をこの上に作った意味は

山口藩招魂社の

近くだったからという事も

あるようですね。

霊山招魂社

京都出身地の方々の招魂社でしょうか。

霊山招魂社。

高杉晋作・久坂玄瑞の墓

招魂碑的なものでしょうが、

ここには高杉晋作、

久坂玄瑞の墓もあります。

右端が高杉晋作、一つ飛ばして

真ん中あたりに、

久坂玄瑞(義助)の招魂碑(墓)。

高杉晋作の墓は

山口県下関市にありますから、

これは招魂碑としての墓ですね。

大村益次郎の墓

同じく山口県出身の

大村益次郎の招魂碑。

大村益次郎のお墓自体は、

故郷である山口県鋳銭司にあります。

土佐藩招魂社

龍馬の故郷、土佐藩招魂社は、

龍馬を下った近くにあります。

エントランス。

参拝。

吉村寅太郎・天誅組の墓

土佐藩招魂社を右に見て、

奥に進むと「天誅組」関連の墓があります。

案内。

天誅組といえば、

昨年の夏行った、

奈良県最南端の十津川村にある

谷瀬の吊り橋の駐車場に

石碑があったのを思い出しました。

こちらがその石碑。

案内文にある「十津川藩士の離反」

の場所かも知れません。

吉村寅太郎の墓。

天誅組の仲間たちの墓(招魂碑)。

そして、この墓石から見えるのは、

こんな風景です。

雲の切れ間から後光が差して、

何だか神々しい雰囲気の空。

坂本龍馬、中岡慎太郎とともに、

ここから京都の町を

見守っているのでしょう。

慰霊碑など

昭和の杜(もり)と

名付けられた地域にあるのは

明治以降の戦いで

亡くなった方々やその関連者の

顕彰碑、慰霊碑などです。

乃木希典将軍の母の、

慰霊顕彰碑。

右は駆逐艦長波の慰霊碑。

左は満蒙開拓団の慰霊碑。

木戸公神道碑。

白鷗顕彰の碑。

「学徒出身戦没海軍飛行科

予備士官の霊に捧ぐ」

このように書かれていて、

操縦訓練もそこそこに、

特攻作戦で散った方々の

慰霊、顕彰をしています。

パール博士顕彰碑

墓地での最後の訪問地。

勝者が敗者を一方的に裁いた、

極東軍事裁判で、

裁判自体が違法だとして、

判事の中で唯一、

被告人全員無罪を言い渡した

インドのパール判事(博士)の顕彰碑。

この方がいて、

日本は救われたと思いますね・・・。

これで、京都霊山護國神社参拝は、

ようやく(笑)完了です。

 

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