水戸城(茨城県)薬医門

 

名より実

水戸城は石垣を使わず、

土塁や堀切などで防御を固めた

「土の城」です。

大手門のブログでは、

徳川御三家の城で、

天守が無かったのは、

水戸城だけと書きましたが、

石垣が無いのも水戸城だけなのです。

あくまでも「実」を取ったのか、

それとも幕府や御三家のお兄様方に

気を遣っていたのかは、

分かりませんが、

実際に水戸城跡を歩くと、

あまり石垣の必要性を

感じさせません。

そう思うのは水戸城の各曲輪(郭)が、

幾つかの高い断崖上に

造られているからでしょう。

従って、

曲輪を隔てる堀切(堀)の深さは、

稀に見る深いもので、

これが水戸城の

大きな魅力にもなっています。

結論として、

気も遣ったものの、

地の利にも恵まれ、お金も節約でき、

副産物的に

「実を取れた」(良かったね!)

そんな気もしています。

大シイ

二の丸角櫓から空中回廊で、

本道の「水戸学の道」に戻り、

本丸方面へと進みます。

とにかく水戸学の道、

気持ちいい!超気持ちいい〜!

(昔、水泳選手が言った言葉・・笑)

大シイに到着。

大きさ比較の為、妻登場。

案内。

樹齢は推定400年で、

二株からなる巨木です。

周囲も整備され大切にされています。

根元近くの幹をアップ。

このゴツゴツ感がたまらんな!

主幹の跡でしょうか?

枯れそうでも枯れない、

妻が好みそうな光景です(笑)

見晴台

ここで案内板を確認。

見所が詳しく書かれていますが、

すぐ横にある見晴台への入口は、

何故か記されていません(笑)

「見晴台入口」

ちゃんと門まであって、

まるでどなたかの家に

お邪魔するかのようです。

真っ直ぐ進み・・

右に折れると・・・

見晴台に到着。

しかし、

見晴台という名前の割に、

木々が邪魔して、見晴らし自体は

そんなに良くはありません。

こんな感じですが、

ここで一つ注目するものが!

ひたちなか市にある「G1TOWER」です。

エレベータ試験塔としては、

日本国内では一番高く、

世界でもトップ10に入る代物。

これを実際に見られただけでも

見晴台の価値は爆上がりです!

杉山門

次は杉山門へ。

杉山坂と杉山門。

以下、杉山坂の案内です。

「杉山坂は、寛永2(1625)年に

初代藩主徳川頼房が行った

水戸城代改修により整備された坂です。

この坂は、藩主御殿のあった

二の丸曲輪に通じる

需要な通路でありました。

坂の中程にやらい門があり、

その門をくぐって坂を上ると

杉山門がありました。

またやらい門と杉山門の間には、

下乗(げじょう)札(ふだ)と

下馬(げば)札が立っていました。

やらい門の脇にあった佐倉は、

下馬桜と呼ばれていました。」

杉山門。

以下、案内です。

「杉山門は、二の丸の北口にあたり、

坂を下りると杉山通りに出ました。

門の内側には、敵の侵入を遅らせるため、

土塁で枡形が形成されていました。

「水戸実測図」によれば、

門の規模は4間1尺といわれています。

この周辺は大きな杉林になっていました。

2代藩主徳川光圀が、

紀州産の熊野杉を取り寄せて

植えたと伝えられています。」

城内側。

高麗門になっていますね。

薬医門

水戸学の道、

まだまだ続きますが、

僕たちは本丸の薬医門が

最終目的地となります。

二の丸から本丸へ。

二の丸と本丸を結ぶ「本城橋」。

ここからは高校の敷地なので、

薬医門見学者以外は、

立ち入り禁止です。

橋の上から大堀切(空堀)の底を

線路が走っているのが見えます。

ここは水戸城好きには有名な場所で、

電車が通ればより絵になるのですが、

これは叶わずでした。

反対、北側の空堀。

圧巻の高さがよくわかります。

ここからも先ほどの

「G1TOWER」が見えてますね!

学校内へ。

不審者に見られないよう(笑)

立入可能エリアをしっかり確認。

「水戸城跡(塁及び濠)」

大方の内容は、二の丸角櫓の展示で

詳しく書き出した水戸城の歴史なので、

明治以降のみを抜粋します。

「水戸城は明治4(1871)年に

廃城となり、

明治29(1896)年9月に、

水戸第一高等学校の前身である

茨城尋常中学校が本丸・下の丸跡の

この地に移転するなど、

城跡の多くは学校用地として利用され、

今日に至っている。

水戸城の建築物は、藩校弘道館と、

他所に移築されていた

橋詰門(薬医門)を除き、

昭和20(1945)年の

空襲などで失われてしまったが、

本丸・二の丸・三の丸を隔てる

土塁と堀切は壮大であり、

国内最大級の土づくりの城として、

名残をとどめている。」

薬医門正面。

「旧水戸城薬医門」

以下、案内です。

「薬医門は、

現存最古の水戸城の建築物である。

「薬医門」とは、

門の建築様式の一つで、

親柱とその背後の控柱からなり、

屋根の棟の位置が両柱の中間より

前に寄せられているのが特徴である。

正面の軒が深く、風格を感じさせる。

この門は、当初は二の丸から本丸へと

本城橋を渡りきった場所

(現在の校門付近)に、

本丸表門として建てられ、

当時は「橋詰門」と呼ばれていた。

建設年代は安土桃山時代末期、

佐竹氏が水戸城に在城していた時期

(1600年頃)と想定される。

薬医門は、安土桃山時代から

江戸時代にかけて

水戸城の城門として現存していたが、

明治20(1887)年頃に

茨城県令であった安田定則邸

(現在の水戸京成ホテル付近)の

門として移築され、

さらに昭和16(1941)年に

祇園寺に移築されたため、

空襲による焼失を逃れた。

昭和56(1981)年、

水戸城本丸跡地である

県立水戸第一高等学校内に移築され、

その際、屋根を銅板葺きとするなどの

改修が行われた。」

この門はまさに「幸運の門」ですね!

たまたま移築されていたため

空襲や戦火を逃れた建物というのは、

神様から選ばれ、

「時代の生き証人」としての

ミッションを与えられているのでしょう。

竹生島ちくぶしま宝厳寺に移築された

豊臣大阪城、極楽橋の唐門、

多家神社に移築された広島城の宝蔵など

過去の旅で見た

「時代の生き証人」を思い出します・・

威風堂々とした門構え。

斜めからも重厚です。

移設されていた時代の写真

(恐らくお寺時代)は、

屋根が瓦葺になっていましたが、

この銅板葺の屋根の重厚さからして、

茅葺の名残そのものですので、

もしかすると

瓦葺になるその前の茅葺き屋根の形を

銅板葺で再現しているのかも知れません。

歴史を感じさせる柱。

門扉も確認。

素朴な屋根裏。

城内側正面。

斜めからだと

屋根の下に扉が収まる、

薬医門の特徴がよく分かりますね!

これで、

薬医門、そして水戸城の散策は終了し、

駐車場がある三の丸の弘道館前まで

水戸学の道を戻ります。

 

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