宝厳寺(滋賀県・竹生島)

 

豊臣大坂城の遺構

慶長二十年(1615年)、

大阪夏の陣で灰燼に帰した

豊臣秀吉が造った大坂城。

その唯一の遺構が、

竹生島の宝厳寺にあると知ったのは、

半年ほど前のことで、

今回、竹生島に渡ったのも

その遺構を見るのが最大の目的でした。

宝厳寺渡廊(船廊下)

竹生島の案内パンフレットに記された

順序は、宝厳寺→竹生島神社。

そんな親切な導きにも関わらず、

僕たちは、竹生島神社→宝厳寺と

順序を変えて回ったことで、

全てが逆周りになってしまい、

宝厳寺の本堂参拝はかなり後回しに(汗)

それでもお目当ての場所が先に見られて

大満足ではあったのですが(笑)

竹生島神社の本殿。

この左端横には、

このような開口部があります。

石段手前までが竹生島神社境内、

その先に見える船廊下は、

宝厳寺の寺域となります。

まさにここが境界線・・・

しかし、神仏分離までは、

竹生島神社本殿が「本堂」だったそうで、

ここは参道だったのです(今でも参道?)。

船廊下の内部。

ちゃんと書かれていますね、境界が(笑)。

朝鮮出兵でも使われた、

豊臣秀吉の御座船「日本丸」を

移築したと伝わるため、

「船廊下」と呼ばれているそうです。

移築は、慶長八年(1603年)の事。

この年、江戸幕府を開いた徳川家康が、

豊臣家の莫大な資産を減らすために

やたらと秀頼や淀君に寺社への

寄進をさせていたころですから

その作戦の一つではあったでしょうが、

今となっては貴重なものを残してくれて

有り難う秀頼さん、かな?(笑)

外観。

こちらは以前訪問した佐賀県の

名護屋城博物館に展示してある安宅船。

(日本丸とは書かれていませんが)

これは肥前名護屋城図屏風を参考に

十分の一スケールで造られたそうですが、

櫓を除けば、船廊下と似ていますね!

観音堂

船廊下に続くのが観音堂で、

こちらも1603年、豊臣秀頼の命で、

京都から移築されたものですが、

内部は撮影禁止なので、

神社参道から外部を

見上げて撮影してみました。

よくわからんな~(汗)

唐門

観音堂の出入り口、

要するに神社と反対側の出口が、

今回一番のお目当ての唐門です。

長い年月をかけて修復し、

半年ほど前に新装オープン。

訪問のタイミングは完璧です(笑)

大坂城の極楽橋イメージCG。

この前部分を移設したのが、

この唐門です。

やはり豊臣秀吉の大坂城は、

豪華絢爛という他ありませんね。

俯瞰して見た、唐門と観音堂。

唐門は国宝、観音堂は重文です。

唐門の天井。

扉。

正面には賓頭盧尊者様。

やはりここでツーショット(笑)

本堂など

気になる所を全部巡った後、

お腹いっぱいになったところで本堂へ。

弁財天様、ごめんなさい(汗)

観世音奉安所。

天狗堂。

石造五重塔。

本堂(弁財天堂)。

三重塔。

「もちの木」

宝厳寺のサイトによれば、

「この木は、1602年(慶長7年)、

豊臣秀頼の命を受け、

普請奉行の片桐且元が

観音堂、唐門、渡廊下を移築したときに、

記念にお手植えされたものです。

片桐且元は豊臣秀頼の後見役です。」

このように書かれています。

ここでも片桐且元の名前が・・・

参道

結局参道からは、

本堂に行っていないので、

僕だけが少し参道の写真を撮影。

妻は、疲れて石段下で待機(笑)

宝厳寺の寺号標と鳥居。

瑞祥水。

琵琶湖の湖底から湧き出る井戸。

ここから本堂へいく石段ですが、

僕の体力もここまで(笑)

今日の一枚

唐門の前で佇んでいると

上空を二羽の白鷺が通過。

桶狭間の鷺之森碑でもそうでしたが、

白鷺とのご縁が多い僕たち、

今回もタイミングが良すぎて、

ちょっと感動でした。

 

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