宮崎特攻基地慰霊碑(宮崎市)
出会いから半年
宮崎特攻基地慰霊碑を知ったのは、
半年前の宮崎旅行での事。
そのきかっけは、
宮崎空港の展望デッキで妻が見つけた
こちらの案内です。
「宮崎特攻基地慰霊碑」。
これを見た時から、
次、宮崎に来た時には
必ず行こうと決めていました。
そして半年経ち、
その思いが、実現することとなったのです。
オリックスレンタカー
空港まで迎えに来てもらい
2日間お世話になる相棒とご対面。
いいですね!
スズキワゴンRですよ。
運転しやすいし、
丸2日間借りて4800円とは、
神話の国宮崎だからこそのご利益、
神様ありがとう!
宮崎空港敷地内へ
慰霊碑は宮崎空港の一角、
レンタカー屋さんから
車で5分ほどの場所です。
宮崎空港の門。
この案内があれば、
迷うことはありません。
JR宮崎空港線の高架を通過。
宮崎特攻基地慰霊碑
あっという間に到着。
場所は宮崎空港滑走路の西側の端。
散策開始。
海軍航空隊基地営門(西門)の門柱。
案内には、
「昭和18年12月1日
赤江海軍練習航空隊発足時に
設置されたものと伝えられています。」
このように記されています。
イラストなどを駆使した
親切な案内。
滑走路を眺めてみると
いきなり飛行機が離陸。
ここは飛行機を撮影する
絶好のスポットでもあるんですね!
こちらはジェイエア。
次々に飛び立つので、
なかなか特攻隊の皆様に
お会い出来ません(汗)
あ~これは
僕たちが乗ってきた飛行機ですよ!
折返しで福岡に向け
飛び立っているんですね。
自分たちが乗ってきた飛行機の
飛んでいる姿を眺められるなんて、
かなりレアな体験でしょう!
ようやく慰霊碑へ。
「宮崎特攻基地慰霊碑」
案内を書き出すと以下になります。
「昭和58年に建立され、
宮崎基地から飛び立った
特攻隊を含む英霊385柱と
宮崎出身で宮崎基地以外の
基地から発進した英霊414柱、
合計799柱の英霊が合祀されています。」
「慰霊碑前において、
年1回慰霊祭を開催することにより、
恒久平和について認識を深め、
二度と悲惨な戦争を行わないよう誓い合い、
平和を祈念する場ともなっています。」
写真はこの基地から飛び立った
飛行機でしょうか・・・
海軍基地ながら、陸軍の飛行機も
ここから特攻に向かったのですね・・・
元来、仲が悪かったという陸海軍、
最後は、
そんな仲違いする次元ではなく、
一丸となって大敵に向かおうと
必死だったことが理解できます・・・。
参道。
遺書の碑。
たなびく日の丸と海軍旗。
建立時に建てられた石碑。
特攻や戦況などのこと、
戦死者名簿などが、
本堂に納められていることが、
記されています。
参拝。
胸に迫る「鎮魂」の二文字。
慰霊碑の左右には、
特攻隊員や見送った人の、
歌碑が配置されています。
右側の碑。
左側の碑。
この一番左側に、
航空安全を祈る歌があります。
「とつくにの空を旅するもろ人を
飛雲にのりてまもる観音」
鎮魂というよりも
御英霊の皆様に
護っていただいている有り難さ、
感謝の気持ちを綴られている
未来志向の歌だと解釈しました。
ちなみに「とつくに」とは外国の事。
要するに、人種問わず、
全世界の旅人を護ってくださるという
素晴らしい歌なんだと思います。
そして僕たちもその旅人の範疇、
改めて御英霊に感謝ですね!
慰霊碑左後方隅に建つのが、
宮崎県出身の永峰肇さんの辞世です。
この方は、最初の特攻とされる
昭和19年10月25日、
関行男大尉率いる
敷島隊5機の搭乗員の一人として、
フィリピン・マバラカット基地から飛び立ち
レイテ湾で散華されています。
「南溟にたとへこの身が果つるとも
いくとせ後の春を想へば」
心にしみる歌です・・・
国の命運を背負って戦った方々は、
現在の己の「生」よりも
将来の子孫の「生」こそを思い、
お亡くなりになったのでしょう・・・
Wikipediaで調べると
この辞世について、
次のように書かれています。
「永峰は生前、検閲の入る手紙や日記を
殆ど書いていないため遺書が無かったが、
マバラカット基地に生還した飛行機の中に
「南溟に たとへこの身が果つるとも
いくとせ後の春を想へば」と
彫られているのを整備兵が偶然見つけた。
これは永峰の辞世の句とされ、
整備兵が紙に写し取った後に、
永峰の両親へ送っている。」
整備兵の方が見つけたのは、
肇さんのお気持ちが、
そうさせたのかも知れません・・・
合掌。
慰霊碑の後ろから宮崎空港方面を撮影。
僕はこの碑が、
なんだか御英霊の背中に見えて、
日々、日の丸を見ながら
ここで、現世を見守っているような気がします。
慰霊碑から見た目の前の参道は、
まるで滑走路・・・
丁度この時、プロペラ機が
慰霊碑前の上空を通過・・・
御英霊たちが望んだ平和な空を
戦争当時と同じプロペラ機が飛ぶ・・・
偶然とは思えない、
「慰霊飛行」に僕も妻も
ただ佇むだけでした・・・