南宗寺(大阪府堺市)三好長慶銅像

 

南宗寺と三好長慶みよしながよし

南宗寺のパンフレットには、

以下のような案内があります。

「南宗庵の大林和尚に

深く帰依した三好長慶は、

父元長の菩提を弔う為に、

1557(弘治三)年、

南宗庵を移転し、

大林宗套を開山として創建、

南宗寺としました。」

「織田信長よりも二十数年前に

堺を拠点に畿内など十三カ国を治め、

天下統一をしたのが三好一族。

堺の町は三好一族によって

繁栄をもたらされました。

境内には三好一族

(元長、長慶、義賢、十河一存)の

供養塔があります。」

戦国の世に畿内を掌握することは、

言わば天下を制したようなもの。

三好長慶の才覚は、

相当に優れたものが

あったのでしょう。

ここに銅像が建つのも頷けますね!

山門

南宗寺の駐車場は

山門向かって左側の道路を少し行き、

そこから右に折れた境内の中にあります。

ここから寺頭へ。

山門と両脇をかためる瓦塀、

なかなか渋い光景です。

駐車場の案内。

年季が入っていますが(笑)、

これがあると無いとでは大違い。

南宗寺山内図。

広域図と詳細図。

「サクラカラー」の広告に注目!

現代人には何のことか、

わからないでしょうが(笑)

フィルムカメラ世代の僕には、

ノスタルジーを感じます。

寺号表は、「南宗禅寺」。

禅寺なんですね。

三好長慶銅像

山門くぐって一目散に、

三好長慶銅像を目指します。

参道。

石畳の分岐を右へ。

長慶さん、少し奥まった場所に

ちょこんと控え目に

座っておられます。

正面。

台座の文字は、

「戦国天下人 三好長慶公」

「文武相備 在家菩薩」。

これは長慶さんに対する、

最大の賛辞ではないでしょうか?

お体アップ。

お顔もドアップ。

温厚な中に強い意志を感じられる

良いお顔をされております。

実父を謀殺した細川晴元に対し、

恨みを封印し家臣となり、

最後は行きがかりとはいえ、

晴元を没落させた長慶さん、

やはり「忍耐の人」だったのかも

知れません・・。

斜め右から。

甘露門かんろもん

次に長慶さんに向かって右側の

江戸時代前期建立の甘露門へ。

こちらは門の裏側というか境内側です。

近影。

この後、反対側(表側)へ。

この甘露門、

パンフレットによれば、

徳川家光さんの時代、

1647(正保四)年の建立と

書かれています。

「甘露」と言えば、反射的に、

「甘露飴」を連想する世代ですが、

コトバンクで調べると

「中国古来の伝説で、

天子が仁政を施すと、

天が感じて降らすという甘い露。」

こんな意味で、

まるで、

「泰平の世に現れる麒麟」と同じです(笑)

正面から。

近影。

甘露門の扁額。

一階内部。

石畳は後世のものでしょうか?

(続く)

 

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