ねぶたの家 ワ・ラッセ(青森市)1

 

ご近所さん

今回使った「ラド観光」の企画、

福岡〜青森FDA乗り継ぎ旅でのお宿、

「ホテルJALシティ青森」と、

ねぶた祭りを一年中体感できる

「ねぶたの家 ワ・ラッセ」との距離は

約500mほどで、

徒歩7分ぐらいのご近所さんです。

地図で見るとこんな感じで、

偶然とはいえ、

ホテルJALシティ青森は、

僕たちにとって理想的な立地でした。

ワ・ラッセへ

青森空港から

車で三内丸山遺跡へ行き、

遺跡を見学後、

一旦チエックインし

ホテルの駐車場に車を置き、

歩いてワ・ラッセへと向かいます。

ホテルJALシティ青森。

何かと感動させていただいた

素晴らしいホテルでしたが、

それはまた「ホテル編」で

思いのたけを語る事にします(笑)

ホテル前の案内。

これを見た僕は、

浮かれ過ぎて、

道を間違ってしまいました(笑)

ホテルからは一直線なのに

裏道に入った僕(汗)

ちょっと遠回りしたものの

無事ワ・ラッセに到着。

「ねぶたの家 ワ・ラッセ」の全景。

凄くオシャレな色彩&デザインですね!

愛称の「ワ・ラッセ」は

恐らく祭りの掛け声

「ラッセラー」から来ているのは

想像つきますが、

その由来を公式サイトで確認してみると

以下のように書かれています。

「末永く、多くの人々に愛され、

親しまれるような愛称を広く募集し、

選考された最優秀作品「ワ・ラッセ」と

優秀作品の「ねぶたの家」を合わせ

愛称と決定しました。

青森市民といつも一緒に生活してる

ねぶたが住む「家」があることで、

ねぶたが祭期間中の一時的なものではなく、

一年中青森市民と一緒に暮らし生活してい る、

市民の一人という意味合いと、

ねぶたの掛け声である

「ラッセラー」と「笑い」の他に、

ねぶた祭での人と人の『輪』や

調和の『和』、

また、ねぶたを通じ た活動により

育まれる市民の『環』を

コンセプトとしております。」

いや〜素晴らしい意味が

込められているんですね!

特にツボったのは、

「青森市民といつも一緒に生活してる

ねぶたが住む「家」」です。

「青森市民」が、

いつも心の拠り所にできる

場所(家)があればこそ

観光客の僕たちも大いに楽しめ

感動できるというものですからね!

こんなコンセプトを知ると、

もうたまらんですな〜(笑)

入口。

ねぶたミュージアム

ここでの一番の目的は、

太鼓叩いたり、踊ったりできる

「ねぶた体験」なんですが、

開始時間まではまだあるので、

館内のねぶた展示などの

見学からスタートします。

ホール。

ここで出迎えてくれるのが、

こちらの有名人です・・

勧進帳を読む弁慶。

これは、

めっちゃテンション上がりますね!

僕たちは青森旅の2ヶ月前、

石川県小松市の「安宅あたかの関」で、

勧進帳の銅像を見たばかりですから!

こちらは「安宅あたかの関」に鎮座する

安宅住吉神社の弁慶像です。

まさかこんな繋がりで、

ねぶたの弁慶さんに出会えるなんて、

嬉しい限りです。

至る所でねぶたの歓迎を受けつつ奥へ。

りんごのねぶたもあります。

チケットは地元青森出身、

棟方志功画伯の絵がデザインされています。

嬉しい事にJAF割引で団体料金ですよ!

ねぶたミュージアムへ。

入口右側のスクリーン。

「伝説と想像に彩られた

ねぶたの起源」

「ねぶたは、

日本の祭りとしては珍しく

特定の寺社と結びついた

祭礼ではありません。

したがって寺社による

「縁起」のたぐいが存在せず、

そのため、

その起源については

さまざまな説が伝承され、

記録されてきました。」

このように記されています。

そんな中、

「ねぶた」の起源とされるものは

以下の三つが挙げられています。

1)坂上田村麻呂恵美氏征伐起源説、

2)豊作祈願の「ねむり流し」説、

3)津軽為信が作らせた大燈籠説。

当初は坂上田村麻呂説がとられ、

毎年最も優れたねぶたを出した団体には

「坂上田村麻呂賞」みたいなものが

あったそうですが、

坂上田村麻呂は青森までは

来ていないという史実を重視し

この賞は改名されたそうで、

実際の起源は「定かでない説」が、

現在の主流のようです。

入口左側のスクリーン。

「ねぶた馬鹿

夕方どこからともなく

シャンシャンと鈴の音が聞こえてくれば

「跳ねてえじゃ」と思う

はじまりの花火で涙でた

「じゃわめぐ」の

意味がわかったような気がした。

(中略)

うちわは破れ

声は嗄れ

脚は上がらず

そこからが勝負

ずっとずっと耳に残る

笛の音色 太鼓の響き」

これは素晴らしい案内ですね!

まるで僕自身がねぶたの熱気の

真っ只中にいて、

ぞくぞくする気がしますから(笑)

「じゃわめぐ」って

ホントいい言葉だ〜!

ここからはタイムトンネル(笑)

ねぶたの歴史などの紹介です。

「青森のはじまり

祭りのはじまり」

「かつては海沿いの小さな村に

過ぎなかった青森。

江戸時代初期、弘前藩が

この地に港を開いたことから、

青森の町としての発展が始まります。

したがって、青森ねぶたは、

人々が集まり住んだ開港以後に

始まったと考えられますが、

遅くとも江戸時代末期には、

毎年の恒例行事となっていたことが、

記録に残されています。」

これってなかなか深いですね・・・

もしも戦国時代末期、

津軽為信が南部氏から独立できず、

既に「野辺地港」を有していた南部氏が

青森を支配したままだったとしたら

青森港開発に力を注いだでしょうか・・

そう考えると起源はともあれ

ねぶた発祥最大の功労者は

「津軽為信」でOKかと思います(笑)

ここで珠玉のワンフレーズに遭遇。

「夏休みの宿題は

ねぶたの絵と決まっていた」

なるほど〜!

青森の夏休み、最高だね!

ねぶたの隊列。

露払い的に小さなねぶたがいて、

その後に「ハネト」続いて大型ねぶた、

その後に囃子方・大太鼓という

並びを見ていると

以前、熊本城で体験した

熊本復興ねぶた」が

これと同じ隊列だったことが

蘇ってきました!

こちらが6年前に見た

「ケッパレ 熊本」と書かれた

「熊本復興ねぶた」です。

ケッパレとは津軽弁で

「頑張れ」という意味で、

熊本地震の被災者を励ます為、

遠く熊本にねぶたを引っ提げ

駆けつけてくれた青森の人々の優しさに

熊本県民でもない僕でも

涙が出るほど感激したものです・・

「ねぶた師に挑戦」

僕もやってみました!

これが僕の「ねぶた」。

なかなかいいセンスしているかも?(笑)

金魚ねぶた。

ねぶた名人の紹介。

2023出陣大型ねぶた。

このトンネルを通ってねぶたの展示、

ねぶた体験へと向かいます。

(続く)

 

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