熊本城2018年秋(熊本市)

 

復興のシンボル

熊本の人にとって、

熊本城というのは、

きっと特別な存在だと思います。

富士山を見ると

自分が日本人であることを

誇りに思えるように、

熊本の人が、熊本城を見ると、

熊本を、郷土を

誇りに思えるのでは

ないでしょうか。

その精神的支柱の熊本城が

大地震により大被害を受けてから

2年半経とうとしています。

そんな時期、僕たちは

震災のあと二度目の

熊本城訪問を果たしました。

前回は震災直後で、

壊れた天守もそのままでしたが、

今回、上部は修復され、

まだまだ工事途上とはいえ、

復活した天守と鯱が

誇らしげに顔を出していたのです。

やはり、天守上部以外は

まだ工事中であっても

天守が見え、

その勇姿を拝むだけでも

心踊るものがあるでしょう。

「まずは復活した天守を見せる」

そんな粋なはからいをして、

人の心を掴む熊本市の復興方針、

素晴らしいと思います。

熊本城二の丸へ

桜の馬場 城彩苑から

歩いて二の丸へ向かい、

そこから熊本城や、

加藤神社、熊本縣護國神社などの

散策に向かいます。

桜の馬場 城彩苑を出て、

すぐ見えて来るのが、

未申(ひつじさる)櫓です。

バリケードがあって、

近くには行けませんが、

ここは見応え十分です。

こうして撮影すると

震災の事が嘘みたいです。

横位置でも撮影。

空に浮かんだ雲が

龍の形みたいと妻が言ったので、

撮影してみました。

本来ならば、

ここから天守に向かいますが、

今はまだ入城は出来ません。

二の丸広場から見た天守と宇土櫓。

天守が見えています。

ずっと工事の足場で隠れていたのが、

顔を出していますよ!

熊本市民でもない僕でも、

やっぱりウキウキしますね!

天守のアップ。

夕方6時からはこの二の丸広場で、

「熊本復興ねぶた」が行なわれるので、

僕たちはその時間まで周囲を

見学する予定にしていました。

石垣の崩れは、

あまりにも多過ぎて、

手が回らないのが現状ですね…

宝暦5年(西暦1755年)、

細川重賢が藩の子弟のために

作った学校、自習館の跡。

宝暦5年と言えば思い出すのは、

薩摩藩の悲劇とも言われる

宝暦の治水事件

木曽三川の治水が完成し、

薩摩藩家老が切腹した年ですね。

戊亥櫓へ。

石垣が崩れても

辛うじて残っています。

ただ、修復は先なのでしょう…

それにしてもこの空堀の幅は、

相当なものがありますね。

鉄壁防御の一面が伺えます。

さらに行くと、

熊本城最大の櫓、

宇土櫓が見えてきます。

宇土櫓と大小の天守。

宇土櫓の案内。

5カ国語での表記は、

熊本ではスタンダードに

なりつつあるのでしょうか。

おもてなし、素晴らしいと思います。

江戸時代初期から残っている

宇土櫓は、

中味はかなり地震の被害が

大きいものの

外観は以前と変わらないのが

本当に凄いですね。

そして、

櫓の高さよりもはるかに高い、

石垣のカッコいい事!!

宇土櫓は「櫓」とは言っても、

江戸時代から現存する

全国12天守のうち、

この櫓より高いものは、

姫路城、松本城、松江城だけで、

あとの9天守よりも高いのです。

やっぱり加藤清正、半端ね〜(笑)

そんな加藤清正公を御祭神とした

加藤神社はこの宇土櫓のすぐ目の前、

この後はそちらに参拝します。

 

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