ねぶたの家 ワ・ラッセ(青森市)3

 

「黄金の1時間」

ねぶたの家 ワ・ラッセ」の

営業時間は季節変動型で、

9月〜4月は夕方6時まですが、

僕たちが訪問した6月は、

朝9時から夜7時までと、

この類の施設としては、

かなり遅い時間まで開いています。

この1時間長い営業時間のお陰で、

青森空港到着が、

午後1時ごろだったにも関わらず、

三内丸山遺跡を堪能した後に

ここに来る計画が立てられたのです。

限れれた滞在時間しかない

遠方からの旅行者である

僕たちにとっての1時間は、

「黄金の1時間」なのでした!

小型ねぶた

大型ねぶたを鑑賞した後は、

小型ねぶたへ。

祭では大型ねぶたの前を行き、

露払い役的な小型ねぶた。

なんだか簡単に引けそうですが、

そんなことはないでしょう(笑)

ねぶたの構造展示

ここではねぶたの構造を

4つのパーツに分けて

紹介しています。

「面」。

中身。

思った以上に複雑ですね。

「手」

常識を覆す「さわってOK」には

驚きながらも

「スリスリ」してみました(笑)

「足」

色んな用途があります(笑)

「波」

大型ねぶたのナカミ。

案内を要約すると以下になります。

「800〜1000個の電球や

蛍光灯の電源として重さ1.3トンの

発電機が付けられ、

ねぶた本体と合わせると

約4トンにもなります。

これを総勢30名の成人男性が

前・後・横に付き、

ねぶたを直進させたり

回転させてりします。」

こちらは以前見た

熊本復興ねぶた」の一コマです。

ねぶたの下に潜り込んで動かすのは、

かなり大変そうでした。

竹のねぶた

嬉しい事に、

昔は竹細工でねぶたを

作っていたという実例までもが

ここには展示されています。

案内を書き出すと

以下になります。

「ねぶたの変遷

ねぶた祭では、古くから竹を用いた

人形灯籠が作られてきました。

明治時代までは数十人で担ぐ

大きな灯籠が作られていましたが、

大正時代には一人や数名で

担ぐものになりました。

昭和に入ると、ロウソクに替わり

電球が使われるようになり、

竹に替わって、細かな表現が可能な

針金が使われるようになりました。

現在の人形灯籠の様式は、

戦後の青森の街並みに合わせて

確立されたものです。」

外観。

竹でもかなり繊細な表現が出来ていて、

あまり針金との差は感じません。

(僕が素人だからでしょうが)

竹部分を見学。

これはスリスリNGですね(笑)

まさに「竹藪」だ〜(笑)

針金に比べ自在度は低いであろう竹を

こんなに上手く使って、

魅力溢れるねぶたを生み出す伝統の技術、

やはり素晴らしいものですよ!

ねぶた制作者の系譜

次にねぶた名人などの紹介へ。

名人たちの「顔」作品。

ねぶた制作者の系譜。

現在の七代名人の竹浪比呂央氏は、

僕たちがここの展示で感動した

大型ねぶた「牛頭天王」の作者です。

さすがは名人、

いい仕事してますな〜!

この後、妻の念願だった

ねぶた体験の時間が遂にやってきます。

(続く)

 

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