にほんまつ城報館(二本松市)前編
タイミング
二本松城のガイダンス施設、
「にほんまつ城報館」のオープンは、
令和四年(2022)四月。
僕たちが訪問する2年ほど前ですが、
館内は真新しく、
実に気持ちの良い空間で、
この時期にここに来られた事、
良いタイミングだったと思います。
パンフレット
パンフレットで驚いたのが、
にほんまつ城報館の各施設は、
大変安価で使用できることです。
表面。
施設使用料は、
専用使用ではないものの
一者一時間110円〜220円と
驚きの価格で、
とても使い易くなっていますので、
多くの人が、気軽に利用し、
ここを盛り上げてくれると
良いですね!
内面は館内平面図。
館内
天気予報通り、
二本松市に入ると雨が降り出し、
館内見学日和に(笑)
二本松観光マップ。
藩政時代の領地にかなり近い形かな?
「史跡 二本松城跡」
僕たちがここに来た主目的は、
戊辰戦争での悲劇の一つ、
二本松少年隊の痕跡を辿る事。
まずは、
にほんまつ城報館で情報収集し、
その後、
少年隊の銅像がある、
二本松城を散策する予定です。
にほんまつ城報館前。
石垣風のエントランスに迎えられ館内へ。
お祭り広場。
二本松の名物、和紙の菊人形。
なんとなく
綾瀬はるか似のお顔してますね。
振袖っぽいポーズの妻(笑)と
ツーショット完了。
二本松歴史館
いつもながらの強行軍のため、
ここでは有料ゾーンの歴史館のみが、
ターゲットです。
入場券の絵柄は、
にほんまつ城報館から見た、
二本松城の姿ですね。
なかなか渋いな〜!
歴史館へ。
入口。
ここからは解説を超訳しながら、
書いてみます。
「土づくりの城」
「14世紀、二本松城は、
様々な勢力の戦いの中、
山城として、産声をあげる。」
「畠山氏が築いた山城」
「1345(貞和元)年、
奥州管領、畠山氏が、多賀城に入り、
観応の擾乱の影響を受け、
南の田地ヶ丘館に入り、
その後、1414(応永21)年、
畠山満秦が二本松城を築城する。」
畠山氏の逗子など。
「伊達の侵攻」
「1584年、
伊達家の家督を継いだ政宗は、
二本松に侵攻し、
畠山氏は籠城し奮戦するも撤退、
1586年、二本松城を落城させ、
それを足がかりに葦名氏の会津も奪取、
広大な領土を持つ大名となった。」
「石づくりの城」
「山城から近世城郭へ」
「豊臣秀吉は、
天下統一の総仕上げとして、
東日本に侵攻。
豊臣政権下となった二本松城は、
石垣を持つ近世城郭へと
改修されて行きます。」
当時の縄張り図(だったかな?)
土の城と石垣の城を半々に描いた、
実に分かりやすい城郭図ですね!
二本松城も右の「土の城」から、
左の「石垣の城」に変わったのです・・
「奥州仕置と二本松城」
「豊臣秀吉は、
1590(天正18)年、
天下統一の総仕上げとして、
奥羽の所領を再編する
奥羽仕置を行います。
このとき、二本松を含む会津領は、
蒲生氏郷に与えられ、
豊臣秀次や浅野長政、徳川家康といった
諸大名が二本松城に入城したことから、
幹線沿いの二本松城が、
会津若松城に代わる
奥州制圧の重要拠点であったことが
わかります。」
「会津支藩時代の武将たち」
約50年間で、
蒲生氏〜上杉氏〜
蒲生氏〜幕府領〜加藤氏〜
幕府領の順に入れ替っています。
藩主がクルクル変わって、
なかなか落ち着かない、
二本松の民達ですよね(汗)
そして、
歴史館の展示は、いよいよ、
丹羽氏が藩主となってからの
ストーリーへと続きます。
(続く)