野田神社(山口市)

 

一つの境内に二つの神社

「豊栄神社・野田神社」と

併記される中の一社が野田神社で、

前者の御祭神は、戦国時代、

毛利家を拡大繁栄させた毛利元就で、

後者は、

幕末の長州藩13代目の藩主、

毛利敬親と14代藩主、元徳です。

御祭神的に言えば、豊栄神社を

先に参拝するのが順当でしょうが、

一の鳥居をくぐると

野田神社が手前にあり、

なおかつ、社頭近くには、

野田神社能楽堂が、

デーンと構えていたので、

考える間もなく(笑)

野田神社からの参拝となりました。

野田神社能楽堂

実は、

豊臣秀吉の供養塔がある

俊龍寺に行く前に

こちらを参拝するべく、

散策し始めたのですが、

近くの高校生が大挙して

神社の掃除に来たので、

掃除のお邪魔をしないように(笑)

参拝は俊龍寺の後に変更し、

再チャレンジとなりました。

一の鳥居(多分)。

こちらは最初に立ち寄った時に撮影。

再チャレンジ時に撮影した、

一の鳥居と野田神社能楽堂。

日差しがかなり強くなっていますね。

能楽堂の正面側から撮影。

案内を要約すると

「能楽堂は、昭和十一年に

明治維新70年記念事業として、

長州藩主の末裔、毛利元昭公により

野田神社境内に建立。

総檜造りで、橋掛、鏡の間および

楽屋控えの間を構え、

本格的な能楽堂である。」

このようになります。

毛利元昭公と言えば、

栄山神社の忠魂碑の揮毫をした方です。

神門へ

能楽堂を後にして、

野田神社の社頭へ。

社頭は樹齢150年前後の杉で覆われ、

厳かな雰囲気を醸し出しています。

杜の中へ。

二の鳥居へ。

鳥居前の狛犬。

高さの比較の為、妻登場。

吽形。

二の鳥居。

ここで目に入って来たのが、

右手の絵馬堂です。

絵馬堂。

明治初期からのものでしょうか?

色々ありますが、

やはり気になったのはこちらの額です。

「一日 一力 一心」

僕たちは広島県の郡山城に行った際、

毛利元就の逸話として、

「百万一心」を知りましたが、

Wikipediaには

次のように書かれています。

「百万一心とは、

「百」の字の一画を省いて

「一日」・「万」の字を書き崩して

「一力」とすることで、縦書きで

「一日一力一心」と

読めるように書かれており、

「日を同じうにし、力を同じうにし、

心を同じうにする」

ということから、

国人が皆で力を合わせれば、

何事も成し得ることを意味している。

吉田郡山城の改築で

本丸石垣の普請が難航したときに、

人柱に代えて、本丸裏手の

「姫の丸」(姫丸壇)に

この句を彫り込んだ石を埋めたところ、

普請は無事に終えられたと伝わる」

「三矢の教え」と同じく、

脚色はあるかも知れないものの、

毛利元就の人柄を表すには、

間違いない逸話でしょう・・。

何とも癒やされる空間・・・

手水舎。

苔むした台座に乗る、

蓮の花形の手水鉢から

流れ出る清浄な水。

ここで手水が出来るなんて、

なんと幸せな事でしょう!

神門。

神門の神紋(笑)は、

毛利家の一文字三つ星。

御社殿

神門をくぐるとすぐに拝殿があります。

まずは、参拝。

拝殿の後ろ側には

玉垣と回廊に囲まれた

本殿があります。

ここから直接本殿に参拝。

玉垣の間からも本殿に参拝・・

いや、

写真を撮っただけけですが(汗)

これにて、野田神社の散策は完了し、

次にお隣の豊栄神社へと向かいます。

 

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