飫肥城(宮崎県日南市)前編

 

執念で復活した伊東家

江戸時代、

飫肥(おび)藩主だった伊東家は、

明治維新まで、改易も転封もなく、

藩主の座を全うしています。

飫肥城は島津氏と何度も

獲ったり獲られたりを繰り返し、

最後に島津氏によって

飫肥城を獲られたのが、

天正五年(1577)、

その後、豊後に逃れ苦節11年、

秀吉の配下となり、

島津討伐の功績を認められ、

再度、飫肥城の城主(大名)として

返り咲いています。

秀吉の力を借りたとはいえ、

自ら戦功をあげての復活ですから、

やはり大したものと言うべきでしょう。

その後の関ヶ原の戦いでは、

九州において、

数少ない東軍として戦い、

家名を存続させています。

一度は浪人同様になりながらも

あきらめない強い心で、

復活するという執念、

真摯に見習いたいものですね。

飫肥城下町案内処

同じ日南市の榎原神社から

車で25分、

途中コンビニで、

昼食を食べて休憩したので、

全部で1時間(笑)

飫肥城近くの観光客用の

無料駐車場に到着です。

案内やチケットの購入ができる、

城下町観光案内処。

飫肥城内や周囲には、

いくつもの有料施設があり、

チケットの組み合わせて

少し(かなり?)お得な

料金設定となっています。

素晴らしく分かりやすい案内板。

僕たちは、こちらのチケットをチョイス。

チケットではなく?

通行手形ですね(笑)

飫肥城の縄張り図が描かれ、

デザイン性と、実用を兼ね備えた

素晴らしい逸品に出逢え、

ここですでに

城を攻める気満々です(笑)

飫肥城大手門

まずは正面の大手門へ。

飫肥城を中心としたマップで、

再度確認して、いざ出陣!

桜満開の大手道。

飫肥城と書かれた上に、

伊東家の家紋、

庵木瓜(いおりもっこう)を見つけ、

僕も妻もまたまた

テンション上がってます(笑)

大手門。

橋の上から見た堀。

現在は空堀ですが、

江戸時代は、

水堀だったのかも知れません。

いよいよ入城。

入った先は桝形虎口。

ここで四方から攻撃され、

討ち死には必至です(汗)

動画でも撮影。

振り返って大手門の内側を撮影。

鉄壁の防御ですね。

枡形から石段で本丸方面へ。

振り返って見ると、

枡形の正面にも雁木を持った

土塀があります。

これでは、敵兵が可愛そう(笑)

桝形虎口を城内から撮影。

最後に城兵気分で、

鉄砲狭間から狙ってみます。

これならめった撃ちですね(笑)

本丸下石垣

次に本丸の石垣下を散策。

土塀は再建されたものでしょうが、

石垣をいっそう引き立たせてくれ、

素晴らしい光景です。

左が本丸石垣、

右側が桝形虎口。

反対側へ。

鏡石(大きな石)と妻。

本丸石垣向かって右端から撮影。

櫓台もあるし、

こんなに立派なものが見られるとは、

あまり想像していなかっただけに

喜びもひとしおですよ(笑)

動画も撮影。

土塁も見っけ(笑)

飫肥城歴史資料館

本丸跡には、

飫肥城歴史資料館があります。

石段で本丸へ。

飫肥城歴史資料館。

資料館前の胸像。

日南市の7代目市長さんで、

飫肥城の整備をした事の顕彰として

この像が建てられています。

飫肥城歴史資料館側面。

館内は撮影禁止なので、

写真はありませんが、

甲冑、刀剣、駕籠、

武具、古文書、着物など

興味深いものが多々ありました。

(後編へ続く)

 

  関連記事 - Related Posts -

 

  最新記事 - New Posts -

 

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください