大洲城(愛媛県大洲市)後編

 

現存櫓

お城に関わる言い方で、

「現存」というのは、

概して「江戸時代以前の建物である」

という意味に使われます。

そして、大洲城の現存櫓は4棟。

そのうち台所櫓と高欄櫓は、

天守と繋がっているので、

本丸に行けば二つとも

必然的に見学出来る事になります。

そして、それ以外の二つは、

それぞれが全く別の場所に、

本丸とは少し離れて建っているので、

かなりのお城好きでなければ、

大洲城の櫓を全部回る事は

しないかも知れません。

もちろん僕はお城好きの幕下?

くらいですから全部回りましたよ(笑)

苧綿櫓

天守にあった2つの櫓の次は、

肱川堤防沿いにある

苧綿櫓(おわたやぐら)を訪問。

河川工事のために昭和時代、

石垣は嵩上げしたそうです。

確かに昔は低かったし、

相当傷んでいましたね。

肱川と苧綿櫓。

ここは大洲(肱川)は、

古式泳法である主馬神伝流

(しゅめしんでんりゅう)発祥の地で、

大洲市のサイトによると

その泳法は、

「戦国時代に甲冑を

身につけたまま川を渡る際に

有効な泳ぎ方」だそうです。

全身に「重り」を背負っても

泳げるなんて、凄い泳法ですよね!

三の丸南隅櫓

三の丸南隅櫓は、

「大洲城三の丸南隅櫓公園」

通称、「お殿様公園」の一角にあります。

入り口。

藩主だった加藤家の子孫が、

大正時代に建てたお屋敷です。

エントランス。

国登録有形文化財の家屋。

内部は非公開ですが、

外観だけでも大正ロマンを感じさせる

素敵な雰囲気を味わえますね。

庭の一角に

三の丸南隅櫓は佇んでいます。

明和3年(1766)再建という

大洲城の現存櫓では、

最も古いものです。

鬼瓦。

江戸時代らしい雰囲気。

普段は外部から見えず、

いざ戦闘となったら

簡単に敵を狙う「狭間」(さま)になる

「隠狭間」(かくしさま)です。

確かに完全に塞がれていますね。

外から見たただの壁は、

一瞬で、狭間になるという、

まさに、「さま変わり」とはこの事です(笑)

鉄砲の攻撃に耐えるように

分厚く造られた太鼓壁と

先程と同系統の隠狭間。

櫓の二階。

建立年などの重要な証拠である棟札。

再建するにあたって、

経費節減のため、

藩の役人を人夫としたり

安い松の木を使ったりしたのが、

書かれています。

お殿様公園の外から撮影すると

全体像が見えます。

袴腰形の石落し。

ほんとに袴を着けているようですね。

これで、大洲城の見学は完了。

次は、大洲神社を目指します。

今日の発見

三の丸櫓のすぐそばの

土塀前にあった写真付きの記念碑。

ノーベル賞を受賞した

青色発光ダイオードの発明者、

中村修二博士の記念碑ですね!

小学校から高校までは

ここ大洲に住んでいたようで、

まさに地元のヒーローですよ!

 

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