龍泰寺・大隈重信の墓(佐賀城一周)
発見
佐賀城には過去数回訪問していますが、
覚えているのは、
「鯱の門」や「天守台」などの
どちらかと言えば「点」です。
しかし、
堀を一周歩けば「点」ではなく、「線」
そして「面」を体感することが出来ます。
今回、佐賀城の堀の外周を歩き回り、
様々な発見がありました。
その一つが大隈重信の墓がある龍泰寺は、
佐賀城西堀のすぐお隣だという事。
事前に地図を見ていたのに
ほぼ、城郭と一体化している事を
知ったのです。
これもやはり新発見でしょう(笑)
大隈重信の墓
西堀沿いに歩いていたら、
妻がこちらの看板を発見しました。

「龍泰寺 入口→」
ここまで導かれれば、
これは行くしかありません。

「大隈重信の墓」も案内されています。

境内へ。

お墓はいきなり出現(笑)

「侯爵大隈家墓地」の標柱。

案内を書き出すと以下になります。
「大隈重信の墓
(生没年:1838ー1922)」
「大隈重信は、
佐賀藩士大隈信保の長男として
佐賀城下会所小路で生まれました。
幼名を八太郎といい
知的好奇心旺盛な
青少年時代を過ごしました。
後に世界に目を開き、
長崎で英学を学ぶために
致遠館を副島種臣と設けて、
アメリカ人宣教師フルベッキに学びました。
明治政府では参議となり、
財政、鉄道・電信建設業に尽力しました。
明治14年(1881)には、
岩倉具視や伊藤博文、井上馨らと対立し
政府を去り、翌年立憲改進党を組織し、
国会の早期開設を求めました。
また、東京専門学校(後の早稲田大学)を
創設し人材の育成に努めました。
明治21年(1888)には、
政界に復帰し外務大臣に就任。
明治31年(1898)と
大正3年(1914)には、
内閣総理大臣を務めました。
大正11年(1922)逝去、
国民葬が行われました。
墓はこの龍泰寺と
東京の護国寺にあります。」
ここでの注目はフルベッキさんです。
僕たちは以前、
大隈重信と副島種臣が、
フルベッキさんに学んだ、
長崎の大徳寺跡を訪問しています。
(妻は忘れているはず・・)

こちらは大徳寺跡に建つ、
お二人の記念碑です。
「大隈重信公揺籃の地」碑側面には、
以下が記されています。
「青春二十六歳、
八太郎此処でフルベッキ博士を師事。
連日通い、英語の履修と
「新約聖書」の講義を受ける。
致遠館学校の設立への協力を申し出る。
長崎奉行脱出時、外交事務を執る。
「東上せよ」との命、三十一歳。」
ここで「長崎奉行脱出時」とは、
明治政府成立と同時に、
幕府が瓦解し、
幕府から派遣されていた
「長崎奉行」が奉行所を去った
という意味で、
大隈さんが去ったのでは
ありません(笑)

お墓正面。

お墓斜め右から。

ここで左右の燈籠に注目。

大隈重信が創設した
早稲田大学からの献燈です。

大隈重信の墓は入り口の左端なので、
右端から親族の墓石と共に撮影。

参拝。

早稲田大学は、ここでも大隈さんに
ピッタリ寄り添っています(笑)

奥様と共に・・・

大隈さん目線の墓域。
龍泰寺
墓参の後はお寺参りへ。

山門。
以下、案内全文です。
「龍泰寺は、曹洞宗に属し、
平安山と号す。
本寺は「五国二島(筑前、筑後、肥前、
肥後、豊前、壱岐、対馬)を領した」
龍造寺隆信が、少弐氏の居館跡に、
永禄六年(1563)に創立、
寺名は、「龍造寺安泰」による。
本堂、位牌所は、
佐賀城本丸広敷を解体移築したもので、
大正九年から翌十年に移築し、
大正十一年一月に落成式を挙行した。
位牌所の二階の花頭窓は、
大書院の古材を転用したものである。
山門は、二重楼門で
両脇に石の仏像を八体づつ安置し、
明治元年の建立である。
本寺は、佐賀七賢人の一人、
大隈重信の菩提寺です。
大隈侯は、二度内閣総理大臣になり、
偉大な政治家として
国会議事堂に銅像があります。
更に、早稲田大学の創設者でもあります。
また、本寺は、
龍泰寺小路の北側に参道を設けて、
城内のお堀の西側に位置し、
佐賀城の威容を偲ばせ
重厚な歴史的景観を形成しており、
本堂、位牌所、庫裏、
山門とともに境内にある松の巨木など
重要な景観を有するものとして、
佐賀市の景観重要建造物
「第一号」に指定されました。」

山門をくぐる前に門前の石祠へ。

参拝。

石祠には龍造寺家の家紋、
「十二日足」(日足紋)が
陽刻されています。

山門内の仏像。
羅漢像にも見えます・・・

反対側の仏像も
やはり羅漢像っぽく見えますね。

本堂側から見た山門。

本堂。
手前の左右には松の古木があります。

本堂向かって左側の松。
「佐賀の名木・古木」と記された
推定樹齢150年のアカマツで、
盆栽をそのまま大きくしたような
風雅な枝ぶりです。

右側の松。
こちらもアカマツでしょう。

参拝。

扁額。

本堂前の庭園。

寺務所前のアカマツ、
こちらも枝ぶりが凄い!

本堂右横に置かれた古い鉄釜。
ここには湯屋でもあったのでしょうか?

中には枯れ紅葉が・・
鍋の穴とのコントラスト、
何となく侘び寂びの世界です(笑)

ツーショットは本堂前で。

大隈さんのお墓を見ながら
お寺を失礼します。

西堀に戻る際に気付いた掲示板。

お〜これは!
僕たちの訪問前日、
龍泰寺では、めっちゃ素敵な
イベントがあっていたのです!

最後に見たのはムツゴロウ(笑)
佐賀城一周はまだまだ続きます。