天王山へ(京都府大山崎町)

 

天王山で愛を感じる

「天下分け目の天王山」。

僕が物心ついた頃から

このような表現で知っていた天王山です。

そして、ようやく「本物」の天王山に

登る時がやってきました。

豊臣秀吉が天下取りレースで

覇者となる第一歩目の山、

明智光秀の滅亡への山・・・

そんなイメージが支配していた

天王山に登ってみると

そこで、感じたのは、

秀吉や光秀よりも

天王山を愛する人の姿です。

もちろん、天王山には宝積寺をはじめ

沢山の名所が点在していますが、

その全ての印象を凌駕したのが、

未だお会いした事もない、

天王山愛に満ち溢れた方の

おもてなしの気持ちだったのです。

僕にとっての天王山は、

何だか大上段に構えたような

(あまりにもイメージが付き過ぎた)

「天王山」という文字や言葉とは

真逆の、素朴な人間愛を感じ、

心に刻まれた

忘れられない山となりました。

宝積寺から山頂を目指す

宝寺と呼ばれる

宝積寺(ほうしゃくじ)の参拝を終え、

天王山への登山道と向かいます。

宝寺本堂の常夜燈前には、

親切な案内も設置され、

おもてなし心を感じてしまいます。

宝寺の境内を出ると

もうそこは「ザ・登山道」!

なかなか登りごたえあります(笑)

各所に道案内があるので、

全く迷うことはありません。

整備された道。

青木葉谷広場

天王山山頂までには、

二箇所の展望施設があります。

1つ目が「青木葉谷広場」。

木々が生い茂っていて、

ちょっと視界を遮る感じですが、

大阪方面が眺望出来ます。

そして、ここで、「愛」を発見(笑)

懇切丁寧な「絶景」案内図です。

ここで、注目なのが、

撮影日 2014年5月19日

更新日 2019年01月(3回)

このように書かれている事。

「更新日」が記された案内板なんて、

初体験ですよ!

作成者の天王山への愛無くして、

こんな事は出来ません。

もはや景色よりも

こちらに感動です(笑)

広場にある陶板絵図。

天王山に登る途中の数カ所に、

「秀吉の道」として、展示されています。

ここは、「中国大返し」の図。

旗立松展望台

この日の天気は目まぐるしく変わり、

天王山中腹付近では

雨が降ってきました。

光秀の涙雨なのかも・・・

そして、次なる目的地、

「旗立松展望台」を目指して行く途中、

Google Mapを見ると、

ちょっと面白い場所にいる事を発見。

ここは、天王山を貫く

天王山トンネルの真上でした!

こちらが旗立松。

案内には、

山崎の合戦時、秀吉がここから

松の木上高く軍旗を掲げ、

軍の士気を高め、勝利したと

書かれています。

明治時代に当時の松は枯れ、

今の松は後世に植えられた

五代目の松だそうです。

「山崎合戦之地」石碑。

山崎の合戦、解説板。

「秀吉、光秀両陣営が占拠を目指した

天王山は、秀吉方の堀尾吉晴により

制圧され、前哨戦で勝利した秀吉は、

ここに馬印を掲げ

山麓の秀吉軍を鼓舞した」

最後は先程の旗立松の案内と同じですね。

そして、堀尾吉晴と言えば、

松江城を建てた武将ですよ!

その堀尾吉晴の時代から

400年以上経った今も

同じ天守があるとは、

さすが国宝、

松江城は凄いお城です。

いつの間にやら松江城の話になりましたが、

その堀尾吉晴はこんな人です。

松江城前の堀尾吉晴公像。

松江城の建立は1607年ですから

山崎の戦いから25年後、

吉晴公も令和の時代の僕たちが、

自分が建てた城を見るなんて、

思いもしなかった事でしょうね。

話が随分外れてしまいましたが、

話は天王山の旗立松に戻ります。

旗立松展望台。

ここに上ってみると、

眼下には山崎の合戦の

主戦場が広がっています。

ところが僕が見入ってしまったのは、

主戦場よりも展望台の案内板です。

よく見ると、一枚の写真ではなく

A4サイズの紙に印刷し、

ラミネートしたものを

8枚組み合わせています。

一部をアップ。

そして、さらに感動したのが、

こちらです。

今年の初日の出ですよ!

たった、ひと月前の写真が、

すでにここに貼られているのです。

そして、右下には、

このような表示も・・・

設置日 2016年10月18日

設置日 2017年03月吉日

更新日 2020年01月吉日

撮影追加日 2020年01月6日

お金をかけた立派な案内板が、

何年も経って色褪せ、

内容も全く更新されず、

放置されているのを各地で見て来た僕に

目からウロコの案内板を見せてくれたのは、

作成者の○○さんです。

(許可を得ていませんので、

お名前は消しておきました)

この作成者が気になって、調べてみると

あるサイトに、

「天王山を愛しているのは無論の事、

案内板を作ったり、

登山道の整備なども自分でされている」

このように紹介されています。

やはり、更新するには、

「愛」が必要なんですよ!

以上、ここまでは、

妻と二人して感動した

旗立松展望台の景色・・・ではなく

案内板のお話でした。

一応、景色も撮影(笑)

色褪せた(笑)合戦図とともに、

合戦場を展望。

旗立台横の灯籠。

この天王山への登山道が、

山頂近くに鎮座する

酒解(さかとけ)神社の

参道でもあるから、

ここに灯籠もあるのでしょう。

「明和元甲申九月」

西暦1764年建立と

かなり古いものです。

酒解神社の鳥居。

神社の正式名称は、

「自玉手祭来酒解神社」で、

ここに書かれている

「神輿庫」も天王山名所の一つです。

秀吉の道陶板絵図。

題名は、

「天下分け目の天王山」

~勝負は川沿いで決まった~

ここには、大きなものが2枚にわたり

展示されています。

こちらは、

「頼みの諸将来たらず」

~明智光秀の誤算~

下剋上が当たり前の戦国時代に

「謀反」という言葉もしっくり来ませんが、

やはり「人心収攬」に長けていた秀吉には、

諸将がなびいたのは必然だったのでしょう。

この後は、

さらに天王山山頂を目指します。

 

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