佐賀城(佐賀県佐賀市)後編

 

天守の無いお城

天守は天守閣とも言われるように

高く構えた建物を意味する

お城の象徴のようなものです。

その天守が無いのが佐賀城。

と言っても、

暴れん坊将軍(笑)、

徳川吉宗が活躍した時代

享保11年(1726年)

大火で消失するまでは、

高さ38m(12階建てビル相当)の

立派な天守がありました。

その後は再建されず、

今に至っています。

江戸時代には多くが火災で消失した

全国の天守ですが、

1657年に明暦の大火で失われた

江戸城の天守をはじめ、

再建されなかったものも多く、

戦国期と違い、

もはや権威の象徴である

大きな天守は不要になったのでしょう。

もちろお金の問題も

大きかったのは間違いありません。

ただ、時は移って、

昭和30年代には全国で

天守を建てるのが流行り、

復興天守や模擬天守、

中には、お城じゃないところにも

天守を建て、観光客を誘致するなど、

百花繚乱の時代がやって来ました。

天守の存在が明らかで、

再建も出来たであろう佐賀城は、

その流行にも乗らず、

いつしか昭和の時代は過ぎました・・・

今思えば、天守を再建していたら

観光客が増えたかと言えば、

そうでも無い気がします。

佐賀県は建物の派手さで売るよりも

偉人や歴史的なストーリーで売る方が、

リピーターにつながると思うからです。

実は、その罠?に

まんまとはまっているのは、

僕たちなんですが(笑)

そんなリピーターになったお話は、

この次の佐賀城本丸歴史館で、

書きますが、今回は天守はじめ、

鯱の門などの「建物体験」のお話。

建物より人だっていいながら、

やっぱり建物も大切か?(笑)

天守台

お城の南側を散策した後は、

いよいよ石垣が残る

天守台へと向かいます。

珍しく本丸ではなく、

二の丸にある天守台。

天守台の向こうには

鯱(しゃち)の門も見えています。

石垣はしっかりと残っていて、

ここは大きな見どころですね。

ちょんまげ姿の武士たちも

この石段を登ったのでしょう。

かなり狭いものですが、

桝形虎口っぽくはなっています。

しかし、ここまで敵が来たら、

落城間近でしょう(汗)

天守台の説明版。

いざとなれば天守と本丸の一部を除き

城下はじめ街全体が湖水化する設計で、

敵の侵入を防ぐ仕組みだったとか・・・

なんか、民を見捨てて、

街全体湖水化というあたりは、

僕は少し違う気がします(推測ですが)

天守台の広場。

天守台からは鯱の門も見えますね。

天守台の南側

修復もしたのでしょうが、

石垣が綺麗に残っていて、

見応え十分です。

石垣の刻印もいくつかあって

工事現場を想像出来ます。

刻印は、石を提供した

藩の目印でしょう。

天守を堪能したあとは、

国指定重要文化財である

鯱の門へ向かいます。

鯱の門

1836年、新たに建造された門。

屋根の上にある青銅製の鯱にちなんで

鯱の門と言われています。

人が写り込まないように撮れるのは、

観光客が少ないお陰です。

喜んでいいのか、それとも・・

喜んでいい~んです(笑)

僕たちが行った時だけが

少ないんですから!

正面から撮影。

門のアップ。

城内側から門の外を見る。

扉にはいくつもの弾痕があります。

これは明治初期におきた

佐賀の乱でのもの。

何だか銃声が聞こえてくるような・・・

門内部から見た石垣。

城内から見た鯱の門全体像。

江戸時代初期に描かれた

創建当初の佐賀城の絵図。

この絵図が描かれてから

200年以上後に建てられた鯱の門は

当然ですが、ここにはありませんよね(笑)

そして、

鯱の門の内部側の石垣には、

こんなものがあります!

ハート!!

まさか、ここも恋人の聖地認定?

そ、そんな~(笑)

ツーショット撮ったら

ほぼ妻だけになってしまいました(汗)

恋人の聖地に僕たちはふさわしくないと

判断されたのかな?(笑)

これで、佐賀城の建物を中心とする

散策は完了。

次は佐賀城本丸歴史館、

どんな出会いが

待ってるんでしょうか(笑)

 

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