坂下阿蘇神社(熊本県南関町)後編
正平
正平(しょうへい)は、
今より約650年ほど昔、
南北朝時代、南朝方の元号です。
過去の旅でも、
記憶に残る「正平」時代の建造物は、
福岡県大川市鎮座、風浪宮の
正平十年(1355)寄進の
石造りの五重塔と、石灯籠位です。
そんな「正平」と久しぶりに出会えたのが、
坂下阿蘇神社の
石造りの三重層塔でした。
拝殿の絵馬
時間を費やしながらも(笑)
ようやく参拝へ。
文政五年(1822)建立の拝殿。
繊細な彫刻があしらわれた
唐破風の向拝。
中に入って参拝。
拝殿内の天井にも
組物が見えているのは、
ちょっと珍しいかも?
そして、ここでの見所は、
江戸時代奉納の絵馬です。
天保九年(1838)奉納。
左は文久二年(1862)奉納。
こちらは弘化五年(1848)奉納。
こちらは安政の後は、
文字が消えかかっていますが
「戊午」に見えますので、
安政五年(1858)の奉納と推定。
蛇の目紋があしらわれているので、
これは加藤清正公を
描いたものでしょう。
本殿
次に本殿へ。
左から本殿、幣殿、拝殿。
文化十四年(1817)建立の本殿。
こちらも細部の彫刻は見事です。
境内社
次に本殿両サイドの境内社(脇社)へ。
本殿左側(御祭神は不明)。
右側もご祭神は不明です。
三重層塔
冒頭に書いた正平時代の三重層塔、
最初何処にあるのか分からず、
半分諦めかけた時、
「ここにあるよ!!」
突如妻の雄叫びが(笑)
お~出会えた~!
三重層塔と書かれていますが、
一番上(または中間)は
欠損しているようで、
正確に言えば、
「三重層塔残欠」となるのかも?
また、左前から撮影していると、
台座に何やら文字が・・・
「正平十一年十一月廿一日
大工 藤原助継」
このように刻まれていて、
文字が風化もせず、はっきりと
残っているのが凄いですね!
屋根部分にはお顔の彫刻が。
神様?仏様?
下の屋根部分は、エビス様?
わかりませんが、
神経が行き届いた造りには、
感動しますね!
そして、
ブログを書いていて気づいたのが、
風浪宮の五重塔の作者も
同じ藤原助継さんの作品だったという事。
さらに、以前参拝した
大牟田市の駛馬天満宮で見た石塔二つも
この方の作品だったのです。
「正平」の文字、
僕の記憶に無かっただけで、
意外と見てたんだ~(汗)
石狛犬
三重層塔の前にあるのが、
嘉永三年(1850)寄進の
灯籠や石祠、
そしてちっちゃな石狛犬です。
お尻を向けあって
お互いがそっぽを向く配置が斬新(笑)
この表情、
拝殿前の狛犬と
相通じるところがありますので、
もしかすると、以前は拝殿前に
置かれていたものかも知れません。
坂下城
神域はお城跡でもあるので、
ちょっとだけ登ってみました。
登城路。
途中の石祠、
皇太子殿下御降誕祝記念碑。
時間と体力が無いので、
お城散策はここまで。
最後にこれで参拝完了。
坂下阿蘇神社、
見所が多すぎる(笑)
素晴らしい神社でした。