誓願寺(弘前市)

 

究極の選択

弘前市では、時間配分上、

行きたい場所を

幾つも除外しています。

例えば、

津軽家歴代藩主の霊屋など

多くの文化財を有する

弘前城裏鬼門のおさえ「長勝寺」、

江戸時代初期の建立で、

日本最北端の五重塔が建つ「最勝院」、

ミニチュア建造物が気になる

明治時代に建てられた

「旧弘前市図書館」等々です・・

弘前市は空襲を受けていないので、

古くて魅力あるものが

多く残っているので

本当に困りますね(笑)

そんな中、

究極の選択をしたのが、

ここ「誓願寺」です。

選んだ理由は二つ。

一つは、津軽為信の軍師とも言われ、

弘前城築城にあたり

吉凶を占うなどしたと伝わる

沼田面松斎ぬまためんしょうさいの墓所への参拝と

その銅像を見たかったから。

もう一つが、

特異な形をした

江戸時代建立の山門を

是非、見たかったからです。

山門

まずは国指定重要文化財の山門から。

案内がありますが、

弘前市のサイトの方が

より詳しいのでそちらを

コピペさせていただきます。

「寺伝によれば、

誓願寺は慶長元年(1596)

大光寺村(平川市)に創立、

弘前城築城に際し

現在地に移されたという。

その後、寺は数度の火災に遭ったが、

幸い山門は災禍を免れている。

山門の創建年代を特定できる資料はないが、

形式から江戸時代中期と推定される。

しかし下層の蟇股などに

室町期の手法もみられることから、

はじめ大光寺に建てられ、

寺と共に移築されたという伝承も

一概には否定できない。

建物は全体に彩色されており、

上層の四周板壁には

十二支の動物の絵が描かれている。

正面中央に高く切妻造の破風を表し、

下方左右に片流れの招破風を持つほか、

懸魚を鶴と亀の形に作る

極めて珍しい形式で、

俗に鶴亀門つるかめもんともよばれ、

特異な門建築の一つである。」

これは素晴らしい!

こんな形の山門、

見たことないな〜!

正面。

このカラフルさ、

めっちゃ元気を貰えますね!

解説に書かれている「鶴」の懸魚。

「亀」の懸魚。

亀の懸魚どアップ。

お顔の表情など、

かなり精巧な彫りで、

今にも動き出しそうですよ!

反対側(境内側)にも同じく

鶴亀の懸魚があります。

江戸時代にも

「鶴は千年、亀は万年」なんて

諺あったのかな?

ここからは十二支の確認。

「子・牛」

右から「寅・卯・辰・巳」

「午・未」

右から「申・酉・犬・亥」

これにて十二支コンプリート!

この角度から見ると

杮葺の屋根もいい感じですね。

本堂

山門に感動した後は本堂へ。

まずは出会に感謝しつつ参拝。

本堂横には何やら案内が・・

図像板碑と聖観音像の紹介。

この二つは、

立派な玉垣内の祠に祀られています。

ますは参拝。

板碑(左)は、

「明治年間に大浦城跡

本丸石垣取り壊しの際に出土した

南北朝時代の仏教信仰の

一端を示す貴重なもの」

右の聖観音像は、

「江戸時代、地方寺院の

和尚や信者の手によって造られたと

推定され民間信仰を知る貴重なもの」

それぞれ、このように書かれています。

平家琵琶の碑

板碑などの並びには、

「平家琵琶の碑」というものが

建っています。

「四つの緒のながく傳へん

梓弓あずさゆみ やしまの波の遠き

しらべを

佐野樂翁」

これは、屋島の戦いでの

那須与一への追憶を

詠んでいるのかも知れません。

僕たちが今春訪問した

屋島寺の御詠歌は、

「梓弓屋島の宮に詣でつつ

祈りをかけて勇む武夫」。

このように

那須与一を歌ったものですし

まさか青森県で香川県の屋島

思い起こさせてくれるとは、

平家琵琶の碑に出会えて、

ホント良かった!

沼田面松斎顕彰像

次に石像へ。

この面魂、

めっちゃカッコいい!

案内を抜粋すると

以下になります。

「当寺に眠る沼田面松斎祐光は、

上野国(群馬県)の沼田庄領主

沼田五郎家政の末裔といわれる。

足利将軍の重臣で、歌人としても知られる

細川幽斎に仕えた後、浪人となる。

永禄十一年(一五六八)に

弘前藩祖津軽為信公の軍師となる。

面松斎は、易学・天文学・兵法に秀で、

識見深謀の才を発揮し、

為信公の津軽統一の大望に

軍師として大いに貢献したといわれる。

慶長八年(1603)に

新しい居城地の選定を命じられ、

面松斎は、位置・河川・地形から

高岡の地(弘前城)こそ

四神相応の地と進言し、町割も施した。」

「面松斎は慶長十七年に没し、

当寺に葬られ、授けられた戒名は

「清光院殿面松斎大居士」である。

院殿大居士号は、藩主以外には

許されぬ格式高いものである。

津軽信枚公が面松斎の功積を

如何に評価していたかが推察できる。

ここに軍師沼田面松斎を

永久に顕彰するため、

菩提寺である光明山誓願寺に

石像を建立する。」

石像アップ。

沼田面松斎の墓碑

ここからは墓域へ。

石造の案内と

ダブらない箇所を抜粋します。

「為信公没後、その遺言によって

二代藩主信校公に仕え、

天海大僧正との縁を活かして

幕府との密接な関係を確立。

弘前藩の永代安泰の磯を築いた功績は

計り知れないものがある。」

天海大僧正、

この人と繋がることは、

将軍の意向も変えられるものですから

相当強力なパイプだったでしょう。

分かりすい案内あり難し!

墓碑に参拝。

墓碑の真ん中には、

「清光院殿面松斎大居士祐光」の文字が

確認できます。

最後はツーショットで

この日の旅程は終了。

弘前市、

めっちゃ素晴らしかった〜!

 

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