那須与一・扇の的(高松市屋島)

 

海を歩く

源平合戦、屋島の戦いにおいて、

源義経が奇襲をかけたのは

屋島の東側の海岸あたりですが、

今はほぼ陸地となっていて、

昔の面影は無いものの、

ある意味、海の上を歩いて、

気軽に戦跡を巡れるのは、

ありがたい事かも知れません(笑)

那須与一・扇の的

佐藤継信のお墓に参った後は、

那須与一が船上の扇の的を

見事に射抜いたお話の現場検証へ(笑)

観光客用の広々とした無料駐車場。

その名も「げんぺい駐車場」。

ここに車を停めただけでも、

テンション上がる

素敵なネーミングに拍手!!

げんぺい駐車場近くには、

またまた面白いものが!

屋島で、いきなりローマの休日体験(笑)

意味は分からないけど、

楽しませてくれて、ありがとう!

この界隈の源平合戦の見所。

駒立岩まで50m。

看板の上、川の向こう岸には、

もう一つの岩が見えています。

那須与一が心願成就を願い、

祈ったと言われる、「いのり岩」。

少し歩いて現場に到着。

「駒立岩(こまだていわ)」

以下、案内です。

「源平合戦の時、

那須与ーが祈り岩で神明に祈願を終え、

海の中のこの岩まで駒を進め足場を定めて、

波にゆれ動く船の扇の的を

見事に射落としたので

胸立岩といわれています。」

こちらが駒立岩です。

駒立岩と扇の的(川の奥)。

那須与一はキリリと弓を引き・・

100mほど先の扇に見事的中!

こちらはWikipediaから拝借した、

「平家物語絵巻」で、

両軍の緊張感漂う雰囲気を

見事に再現していますね!

弓流しの跡

次は義経さんが、

弓を海に流してしまったという、

「やっちまった現場」へ(笑)

途中の神社に参拝。

地元「牟礼町」のキャラクター。

義経さんの

「やっちまった」エピソードを元に

作られたのか否かはわかりませんが、

義経さんらしき人物が、

弓矢を持った姿に

思わず笑顔になれます。

今はこの狭い路地が現場です・・

右側の標柱のてっぺんには、

源氏の家紋、笹竜胆(りんどう)と

意味不明なロゴ?があります。

「弓流しの跡」

案内を書き出すと

以下になります。

「源平合戦の際、義経は勝に乗じて

海中に打ち入って戦ううち、

脇下にはさめていた弓を海中に落として、

平家方の越中次郎兵衛盛嗣に熊手を

かけられ危うく海中に落ちかかりましたが、

義経は太刀で熊手をあしらい

左手のムチで弓をかき寄せ

引きあげたというところです。

平家方に拾われて

「源氏の大将ともあろう者が

こんな弱い弓を使っているのか」と

もの笑いになるのを

おそれたものだといわれております。」

まあ、

大将とは知略あってのもので、

弓なんか弱くても

問題ないと思いますけど、

義経さんは必死だったのでしょう(笑)

屋島に掲示されていたパネルでは、

さらに突っ込んだ説明があります。

「波間に見え隠れする弓を

拾い上げようとする義経に

「お捨てなされい、お捨て下されい」

という部下達の声。

部下の声にも聞く耳を持たす、

義経は右手の太刀で必死に戦いながら、

左手で弓を拾い上げました。

「一張の弓と大将軍の命と

いずれが大切であるか」と

語気を荒げる部下に義経は

「叔父為朝の強弓なら

敵に拾わせでも構わないが、

源氏の大将がこのような

弱弓を持っていたとなれば、

源氏の大将の名を汚す事になる」と、

義経の名を惜しむ意気を伝えています。」

勝ったから美談になりますが、

下手すれば、

「見栄をはる為に、

海に流された弓を拾いに行った義経、

弓を気にしすぎて討死!」

こんな事にもなりかねません・・

まあ、

どっちが正解かは別として(笑)

 

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