仙台城(宮城県)本丸北壁石垣
無限大
大手門跡などを含めると広大な仙台城。
限られた時間で
城域全てを巡るのは無理なので、
伊達政宗騎馬像と本丸北壁石垣の
2箇所に集中して散策をしています。
山形城で最上義光公勇戦の像と
二ノ丸東大手門に絞って
迴ったのと同じく、
弾丸散策でしたが、
上辺だけの体験でも
しないよりした方が
無限大に素晴らしい・・はず?(笑)
ただ一つ問題は、
妻の記憶に残ったか否かです(汗)
昭忠碑
伊達政宗騎馬像の近くには、
昭忠碑というものが建っています。
案内によると
西南戦争・日清戦争等
戦没者慰霊碑として
明治三十五年に建立され
宮城縣護國神社の所有です。
塔の前のブロンズ製の鳥は、
「鳶(とび)」で、
幸運にも第二次世界大戦の
金属供出を逸れていますが、
東日本大震災の時に塔の上から落下し、
修復後はここに配置されたそうです。
政宗さんの騎馬像は、
溶かされてしまったのに
鳶さんが無事だったとは、
やはり戦没者の慰霊という
聖なるミッションを
与えられていたからでしょうか・・
本丸大広間跡
政宗さんの騎馬像からは、
本丸広場を横断し、
北壁石垣へと向かいます。
本丸大広間跡遺構表示。
往時を偲ばせてくれます・・
平面案内図。
京都、二条城の二の丸御殿のような、
書院造りの大規模な
建物だったようですね。
大広間跡の先には伊達政宗騎馬像、
その先には仙台市街の眺望がひらけ、
見張りするにも抜群の場所であり、
ここの城に天守が不要だったことが、
何となく理解できた気がします。
本丸北壁石垣
次に石垣へ。
詰ノ門から北壁石垣を目指します。
案内を要約すると
以下になります。
「石垣の構築は三期に分けられ、
慶長六年(1601)、
伊達政宗の築城時は野面積みで、
元和二年(1616)の地震で倒壊後、
大きな石材を使用し改修、
その後、正保三年(1646)と
寛文八年(1668)の二度の地震を経て、
現在の切り込み接ぎ
(切石積み)の石垣となり
度重なる地震に耐え、300年以上も
持ちこたえている。」
仙台というか東北での地震、
かなり頻繁に起きているんですね・・
300年持ちこたえている
切り込み接ぎ布積みの石垣。
見た目も美しく、頑丈そうです。
算木積み部分をアップ。
妻を入れて石の大きさを確認。
詰ノ門へ。
門向かって右側の石垣は、
何度か崩れて、現在も修理中です。
北壁の石垣との耐久性の違いは、
一体何なのでしょうか・・
護國神社の大鳥居がそびえる詰ノ門跡。
ここは登城路ではありますが、
宮城縣護國神社の参道でもあり
この後はその護國神社の
参拝へと向かいます。