信貴山城(奈良県平群町)

 

裏側が玄関

現在、信貴山(しぎさん)城への道は、

搦手(裏側)の

朝護孫子寺

(ちょうごそんしじ)側から登るのが

定番となっています。

これは、信貴山城の縄張り図。

(出典元「余湖くんのホームページ」)

実際は縄張り図の下側(北側)が、

大手口(表側)なので、

最初はここから登ろうと

チャレンジを試みましたが、

入口も駐車場もわからなく、

結局断念して、「定番」の

朝護孫子寺から登ることにしました。

朝護孫子寺へ

こちらが朝護孫子寺の

「信貴山観光iセンター」でいただいた

信貴山のマップです。

縄張り図では一番上の

「朝護孫子寺へ」と

書かれた部分がここになっていて、

お城の搦手です。

この地図を見てもわかるように、

本丸があった雄嶽(山の名前)山頂には、

「空鉢護法堂」が建てられ、

登城=お寺参りという形なので、

歩いていても

「お寺に参る」気分になってしまいます(笑)

朝護孫子寺の駐車場から

参道を通って信貴山城本丸を目指します。

信貴山観光iセンター前の松永久秀。

道案内は完璧。

参道の左右には、

お寺の見所がたくさんありますが、

ここでは割愛し、

朝護孫子寺としてブログに書きます。

雌嶽

主郭(本丸)である雄嶽の南側に、

少し低い雌嶽があり、

これが出丸か副郭のような機能を

持っていたようです。

信貴山城案内図。

ここで雌嶽について、

「雄嶽と同様に

切岸防御の中心としていたが、

南側に枡形状の出入り口と

石積みを見る事ができる」

このように書かれています。

標高400.5m。

細長い郭。

人工的に削平されていますね。

礎石か石積みでしょうか。

これもかな?

ここから雄嶽(本丸)へ。

雄嶽山頂

本丸である雄嶽山頂には、

空鉢護法堂など

お寺の建物が沢山がありますが、

ここではお城に関する

写真だけにしています。

信貴山城址碑。

信貴山城の案内。

雄嶽山頂から大阪方面の景色。

見張りをするなら

もってこいの場所かな?

お城の遺構らしきものが、

ほとんど無いので、写真はこれだけ(汗)

松永屋敷跡へ

山頂を越えて反対側(北側)に下りると、

松永屋敷跡があります。

案内は完璧。

本丸の虎口的な雰囲気ですが、

後世に車道として作ったのかも?

とにかく遺構はよくわからないのです。

高安城はここからは

ちょっと遠いので→だけ記念撮影。

立入(たてり)屋敷。

「立入氏は、

松永氏の政治の実務を担った

家臣団であり、この曲輪が軍事的にも

政治的にも重要な

曲輪だったことをうかがわせる」

このような案内が書かれています。

屋敷跡。

ここからさらに下って行きます。

松永屋敷跡。

入口。

出迎えてくれた侍と妻(笑)

これって、

かなりユーモアある作品ですよね!

さらに案内。

松永久秀に関する説明も

かなり詳しく紹介されています。

最後の一文、

「(松永久秀は)

城に火を放って自刃しました。

大仏殿が焼けた永禄十年十月十日から

ちょうど十年後の十月十日、

久秀も灰になりました。

大仏殿の焼けた翌日は雨でしたが、

信貴山城落城の翌日も

また冷たい雨が降っていたそうです。」

この言葉が、この後の僕たちの旅の

道筋をつけてくれたような気がします。

というのも信貴山城を訪問した翌日は雨。

松永久秀が泣いて

僕たちの訪問を喜んでくれたのかな(笑)

とにかく広い屋敷跡。

一番奥は切岸になっています。

堀切でしょうか?

広すぎて体力使います(汗)

出入り口の案内。

動画ならば広さもわかるかな?

最後に松永久秀の紹介看板前で、

ツーショットで〆。

とにかく、広い松永屋敷でした。

 

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