小谷城(滋賀県長浜市)

 

シャトルバス

初心者が小谷城見学をするのに

一番安心な方法は、

地元語り部(観光ボランティアガイド)が

同乗して本丸まで案内してくれる

「小谷城シャトルバス」を使う事ですが、

小谷城への旅を決めたとき、

僕たちが行く日程には、

シャトルバスの運行日はありませんでした。

ところが、旅の一週間ほど前に

何となくサイトを眺めていると

僕たちが行く日が、

追加されているではありませんか!

これは、浅井長政のお墓の夢を見た妻を

小谷城が歓迎してくれているのだと

勝手に思い込み(笑)、

これに乗っかるしか無いと、

旅の初日に予定していた小谷城訪問を

シャトルバス運行日に合わせて、

急遽2日目に変更したのでした。

訪れてきた幸運には躊躇せず、

すぐに乗っかるのが、

人生楽しくやっていくコツですからね(笑)

登城コース

今回は小谷山の中腹にある

「本丸跡」までを巡ります。

小谷城戦国歴史資料館でいただいた

小谷城の案内図。

この一番下にある

戦国ガイドステーションから

シャトルバスに乗って攻城はスタートです。

戦国ガイドステーション

小谷城戦国歴史資料館から

車で数分、小谷城攻城の起点、

戦国ガイドステーションに到着です。

櫓っぽい建物が、

戦国の雰囲気を醸し出していますね。

石垣の上にのった巨大兜と妻。

これがシンボルのようです。

僕たちが乗るシャトルバスは、

13:45の出発。

実を言えば、

この後のバスに乗る予定だったのが、

朝からの旅が順調に行き過ぎて(笑)

一つ早まったのですが、

これがまた幸運を呼び寄せたのです!

このバスに乗ったは僕たち二人だけで、

結果、

地元語り部さんも「僕たち専属」(笑)

そして、ありがたいことに、

他の地元語り部さん達から「先生」と

呼ばれているかなり詳しい方だったのも

また、浅井長政公の導きかも知れません。

バス到着。

二人の専用車(笑)

番所跡

バスに乗ること15分、

番所跡の手前に到着。

少し歩いて番所へ。

「クマ出没注意」にビビリます(笑)

イラストのお陰で、

往時を想像できますね。

番所跡。

虎御前山展望所

織田信長が小谷城攻略の

前線基地として作った、

虎御前山城を眺められるのがここ。

小谷城のわずか500m先ですから

籠城する兵士には、

相当な威圧感があったでしょう。

御茶屋跡

次は御茶屋跡。

信長の小谷城攻めの時は、

ここも軍事拠点となり、

御茶屋としての機能は無かったそうです。

石庭の石が残っています。

風流なことが出来るのは、

命の保証があってのもの。

この石は平和の尊さを

教えてくれているのかな?

馬洗池 御馬屋跡

次はお城には付き物の馬関係(笑)

案内板。

馬洗池。

石垣も残っていますが、

今、ここを荒らしまくっているのは、

武士ではなく、イノシシだと

語り部さんが教えてくれました。

僕たちふたりともイノシシ年生まれ・・・

申し訳ありません(汗)

御馬屋跡。

姉川方面展望台

少し行くと景色が開けた場所があります。

姉川が見えるので、

勝手に僕がつけた名前が

「姉川方面展望台」(笑)

少し霞んでいますが、

信長が最初に小谷城攻略の拠点とした

横山城も見えています。

首据石

裏切り者の首を晒したと言われる石。

「裏切った奴はこんなになるんだぞ!

そんな意味をこめて、

首を晒したのですが、

小谷城落城前には、

七割かたは裏切って、

織田方に寝返っていました・・・」

そう、語り部さんは、

少し悲しそうに話してくれました。

赤尾屋敷跡

浅井長政が自刃した場所。

ここは、語り部さんの案内コースには

入っていなかったのですが、

僕たちにとっては外せない場所。

「本丸に行かなくてもいいので、

赤尾屋敷へ行きたいのです」

そうお願いしたら、

快く引き受けてくださいました。

左が本丸方面、

右が赤尾屋敷方面。

赤尾屋敷跡の石碑。

イラスト。

案内。

「浅井長政公自刃の地」

妻が、長政公のお墓の夢を見てから

遂にここまでたどり着きました・・・。

長政公の冥福を祈って合掌・・・。

桜馬場跡

赤尾屋敷から引き返し、

桜馬場跡へ。

イラストのお陰で、

分かりやすいことこの上無し(笑)

全景。

浅井氏と家臣たちの供養塔。

本丸・大広間跡

赤尾屋敷にいくために

本丸はパスする予定だったのに、

語り部さんの好意で、

本丸・大広間まで行くことに。

有り難し!!

黒金門跡。

ここの石積みはかなり

しっかり残っていますね!

本丸・大広間の案内。

語り部さんによると

ここには、お屋敷があって、

お市の方や浅井三姉妹も

住んでいたそうです。

屋敷の礎石が残っていますが、

イノシシが掘り起こして困っていると

ここでもイノシシ被害を語られていました。

本丸の石垣。

この上に複数階の建物があったそうです。

大堀切跡

本丸の一番上にある大堀切。

手前の本丸と、

向こう側の中丸を横切っています。

実際に降りてみると

大堀切の深さがわかるのですが、

今回はここまでで散策は終了です。

長政公最後の書状

大堀切を見ながら

最後に語り部さんが教えてくれたのは、

浅井長政最後の書状である

家臣に送った感状の事でした。

予定外の

赤男屋敷跡までも案内してくれて、

時間も超過している中(汗)

資料をめくりながら

「これが自刃する直前の書状です」

そう言って説明してくれたのが、

家臣の片桐直貞へあてた感状で、

その内容は、

「不自由な籠城生活で、

多くの家臣は敵方に付いてしまった中、

忠義を尽くしてくれて感謝している。」

というものです。

死を目前にした人が言えるような

言葉ではありません・・・。

この書状の原本は、

お茶の水女子大学にあるとお聞きして、

いつかは見てみたい気持ちになりました。

「片桐直貞の長男の片桐且元は、

小谷城落城後、敵将の秀吉に仕え、

その後、豊臣秀頼を支えた人。

秀吉に仕えることが出来たのも

この浅井長政の感状が

あってこそかも知れません」

そんな事を語り部さんは話されていました。

最後の最後までで

こんな感動的な案内をしてくれた

語り部さん、本当にありがとうございました!

赤尾屋敷を巡ったために

予定よりも10分以上遅れて、

戦国ステーションに到着。

小谷城、語り部さんのお陰で、

最高の思い出になりました。

今日の癒やし

シャトルバスに乗る前に

見送ってくれた赤とんぼ。

枝の上から、

「いってらしゃい!楽しんできてね!」

そう言っていたのでしょう!

 

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