島原城(長崎県島原市)後編

 

出世主義が遺したもの

いつの世にも

「良いカッコしい」は

いるものです。

そして、その人の為に

大きな迷惑を被る人もいるのです。

それを絵に描いたようなものが、

島原藩主の松倉重政だったと言えます。

前編でも書きましたが、

身分不相応に巨大な島原城を作ったり

幕府に気に入られる為にお金を使ったり

その原資(年貢など)を得るために

松倉重政の圧政で、

どれだけの民が苦しんだことか…

しかし、

その「良いカッコしい」のお陰で、

現在の島原城は、

島原市の象徴的な観光地となり

お金を生んでいる(多分)のですから

歴史は皮肉なもの、

今となっては松倉重政グッジョブ!

なのかも知れません(笑)

ただ江戸時代初期、

ここで苦しめられた

領民たちは今の島原城を見たら、

何を思うのかと想像すると

ちょっと複雑です。

しかし、世界の観光地というもの

過去の過酷な圧政のもと

領民の血と汗の結晶として

出来たものが多いのも間違いないこと。

大切なのはその過去を知り、

良い所は見習い、悪い所は反面教師とし

自分たちの未来に活かすことでしょう。

御馬見所へ

御馬見所というのは、

藩主が藩士の訓練状況を

見るのに使われた場所ですと

下の案内に書いてあります。

三の丸からの移築です。

門。

少し見学して次へと進みます。

天守の裏側から少し行くと

こんな案内があります。

あの、有名な彫刻家、

北村西望(きたむらせいぼう)は、

ここ島原出身だったのですね。

その記念館は、

復元された巽三重櫓の中にあります。

しかし、

櫓の外観を撮影するのを忘れていた(汗)

なので、早速館内です。

「将軍の孫」

これは、一時期、美術商で

アルバイトしていた妻が、

見たことある!

と言っていました。

加藤清正像。

この像は熊本市の本妙寺に

建てられたもののミニチュア版です。

(といってもかなり大きいが..笑)

何故か、この像の台座には

お賽銭?が置かれていました。

長崎市の平和祈念像の原型。

骨組みはこんな感じ。

平和の像の雛形。

説明にはこう書いてあります。

「観音にするか女神にするか、

または裸体にして男か、女か、

立像か、座像かいろいろと模索した結果

自分の最も得意とする

男の裸像に決まりました。」

へ〜男の裸像が得意だったんだ〜!

館内には、60点ほどの

色んな作品があります。

この時は、あまり銅像などに興味は

ありませんでしたので、

ザッと見た感じでしたが、

もし、今見るとすれば、

もっと時間をかけて

じっくり見たいかもしれません。

櫓内部(西望記念館)を出たあとは、

西の出入り口へと向かいます。

江戸時代、

島原城の本丸へは二の丸から

廊下橋を渡るしかなかったものが、

今では観光客が車で本丸に直接行けるように

道路が整備されています。

石垣の上には西三重櫓が見えます。

島原城は、天守ともに三つの櫓が

全て復元されているので、

昔の姿をかなり満喫できます。

西の堀底まで降りてみました。

島原城の堀は水位が低いので、

堀底まで降りていって、

こんなに迫力ある

お堀の写真が撮れて、

お城好きには嬉しい限りです。

お堀端にある案内図。

現在地からお堀の左側を回り

島原駅を目指します。

島原駅に向かう途中に見えた

島原城の天守。

島原駅に到着。

お城風の駅舎を改めて

斜めから駅を眺めると、

駅舎の左脇には、

二棟もの櫓を配置してあり

なかなか手が込んでいました。

そして、駅舎の右横に気になるものを発見。

鉄砲狭間までしっかり再現された

白い土塀に囲まれた駐輪場です。

駐輪場の入り口は、

冠木門(かぶきもん)となっていて、

まるで城内へ入っていく気分ですね。

駅舎だけでなく、駐輪場までも

これほどに気合いを入れて作るとは、

素晴らしいぞ、島原駅!(笑)

駐輪場で感動した後は

帰りの列車へと乗り込みます。

島原鉄道の車内から見た夕陽。

快適な旅の終わりに

ふさわしい心癒される夕陽でした。

 

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