角牟礼城(大分県玖珠町)前編

 

山登りは楽しい?それとも・・・

「角牟礼城」と書いて、

「つのむれじょう」と読みます。

僕は「かくむれ」などと

勝手に読んでいました(笑)

玖珠町教育委員会

社会教育課文化財係によって

作成された玖珠町のパンフレットによると

「国指定史跡である角牟礼城跡は、

中世山城から近世城郭が

成立していく過程を一目で見られる

貴重な城跡」

と書かれています。

そんな素晴らしいお城だったのに

1年半前に来た時は、

由布院に行く時間の関係と

山登りは疲れる(笑)との理由で、

攻略は断念していました。

しかし、今回は違います。

今回の旅は玖珠町に居座る旅、

再訪で、僕たちは遂に

角牟礼城を落城させました(笑)

角牟礼城へ

角牟礼城は山城で、

森氏の館跡の三島公園から

そのお城がある

角埋山(つのむれやま)が見えます。

この写真では確認出来ませんが、

角埋山には

「角牟礼城」の幟が二本見えていて、

妻は、「あそこまで登らんといかんのか~」

と、これからの山登りを想像して、

少し凹んでいました(汗)

それでも一緒に登ってくれるのは、

感謝しかありませんね!

「登城口の石畳」と書きたいところですが、

実は、これ、神社の参道なのです。

まあ、ここにある末廣神社は、

神社と言えども「お城もどき」(笑)

だからこんな作りなのですが、

それはまた次回に書きます。

角牟礼城の石垣と石段・・・

ではなく

ここも神社の石垣と石段(笑)

こちらもまだ神社の敷地で、

神社の裏側からが角牟礼城への

登城口となっています。

案内。

風雨にさらされ、汚れていますが、

このマップのお陰で、とてもスムーズに

お城散策が出来ました。

実は、前回玖珠に来た時は、

この案内を見て、

「あ~遠い!止めとこ!」

となったいわくつきのものですが、

今回は僕たちの

強~い味方です(笑)

まずは少し平坦な山道です。

少し行くと、コンクリの

スロープがあり、遊歩道として

整備されています。

角牟礼城へ登る途中には

多くの小さな仏像があって、

それらは地元の方の寄贈のようでした。

完全な姿ではなく、

このように首を切られた仏像も多く、

恐らく明治初期の廃仏毀釈の

影響がここにもあるのでしょう。

そんな事を思いながら

息を切らして登っていたら、

いきなり石垣を発見!

お~素晴らしい石垣!

僕一人、遊歩道を外れて、

写真撮影に没頭です(笑)

このあたりには、

かなりの石垣が残っています。

山頂近くの三の丸までは

車であっという間に行けるのですが、

こんなものに遭遇出来るなんて、

麓から歩いて登って大正解でした!

遊歩道に戻ると

比較的大きな仏像があります。

しかし、その右にあった小さな仏像は、

やはり首を切られていました・・・

切られた跡には苔がむしていて、

なんだか、

傷を癒やしているようにも見えます。

そして、この仏像の背後にも

石垣が見えていますね。

遊歩道は終わって、

次に石段が出現。

その石段が途切れると、

あとは完全な山登りです。

かなり汚れていますが、

この地図が僕たちを本丸へと

導いてくれます。

直接登る道は石垣の修理中で、

迂回路を通ります。

このあたりはもうお城跡真っ只中。

僕たちは末廣神社から登りはじめ、

もうすぐで、三の丸という所まで来ました。

大雨の被害はここでも

相当にあったようです。

三の丸付近で、石垣発見。

竪堀(たてぼり)も何筋かあります。

ここでも仏像が見守ってくれていました。

三の丸

山を登ってようやく駐車場もある

三の丸に到着です。

三の丸の案内。

案内に書いてある

「コンニャク印判」って何だろう?

コンニャクを彫って印を作るのは

グニャグニャしてやりにくいだろうに?

と調べたら、

同じ図柄の器を量産出来るよう

手描きではなく、判や印刷によって

模様を施す装飾法で、

実際には、コンニャクを彫って

印を作ったわけではないようです。

素晴らしい石垣!

このあたりの石垣は、

綺麗に修復されていて、

見応え十分ですね。

階段には、平面的な石を

使っていたのがわかりますね。

三の丸は駐車場になっていて、

メインの遺構を中心に見たい人には、

本当に有り難い整備の仕方です。

山城でも山頂付近まで車で来られれば

小さな子供も、高齢者でも

お城を堪能出来るのですから!

僕も次回はここまで車で来よう(笑)

三の丸の裏側にも石垣は沢山残っています。

角牟礼城の特徴は、

「登り石垣」があることです。

山頂の郭との連絡用だったのか、

それとも敵を横に移動させない

防御のためなのかは、調べていませんが、

いづれにしろ、素晴らしい石垣が見られて

大満足です。

案内によると

標高577mの角牟礼城は、

豊前と豊後の境目の城と

書かれていて、現在の遺構の多くは、

この城主が大友氏から毛利氏に変わった後、

築城されたもののようです。

ここでもこのマップのお世話になります。

「難攻不落の角牟礼城略年表」

表題が素晴らしいですね!

このお城の特徴を一言で

言い表していますから。

島津軍の攻撃にも

落城しなかった堅城です。

二の丸

ここが、角牟礼城の

一番の見どころになります。

全長100mの石垣ですよ!

凄いではないですか。

早速石垣。

いい感じで残っていますね。

こちらが三島公園から妻が見て、

あんな所まで登るのか~っと

ガックリ?来た幟です(笑)

100mの石垣は圧巻。

ここから大手門方面へ登ります。

大手門

お城の正面玄関である

大手門はこのあたりにありました。

どんな形状だったかは、

よくわかりませんが、石垣は残っています。

この石垣の上には

門の一部があったのかも知れません。

奥の崖を見て、妻は

何かを感じると言っていました。

何なのでしょう?

僕には全く感じません。

妻が感じていたのは、

水神様かも知れないですね。

ここは、井戸曲輪跡ですし、

今でも水は湧き出ているのですから。

やはり水がなければ籠城も出来ないし

生きていけません。

きっとここはお城の中でも

かなり大切にされていた場所なのでしょう。

角牟礼城、まだまだ見どころが多いので、

本丸などは後編に続きます。

 

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