四郎ヶ島台場(長崎県長崎市)

 

佐賀藩が作った台場

台場とは海岸線を守るための要塞です。

昨年行われた

肥前さが幕末維新博覧会で

佐賀藩10代藩主鍋島直正が

幕末に手掛けた数々の偉業と

人材育成を知り、

その中でも、興味があったのが、

この四郎ヶ島台場でした。

今は長崎県ですが、当時ここは、

佐賀藩の領地(飛び地)だった事から

ここに台場が造られたようです。

今、フジテレビがある事で有名な

「お台場」と言われている

東京(当時は江戸)の台場の大砲は、

全て佐賀藩が作ったものだったという事も

肥前さが幕末維新博覧会で知り

益々佐賀藩の業績の跡を

辿ってみたくなった次第です。

神ノ島へ

四郎ヶ島台場は、

神ノ島町の先端に突き出た島になります。

神様の島なんて、

いい名前ですね。

そんな神様の島に行くのに使ったのが、

女神大橋という、

これまた神がかった名前の橋でした。

魚見岳台場の案内。

女神大橋を渡る前、

神ノ島の対岸にも

「魚見岳台場」という遺構が多く

残された台場があるのですが、

今回、立入禁止になっていました。

水害の影響でしょうか・・・

早く復活してもらいたいものです。

女神大橋全景。

この橋の手前の支柱周辺には、

遺構は残っていませんが、

江戸時代初期から

「女神台場」という台場がありました。

その「女神」から

「女神大橋」と命名されたのではないかと

勝手な想像をしています。

(以外と正解かも?・・笑)

女神から神ノ島へ・・・

何という、縁起の良さでしょう!

女神大橋を渡るだけでも

ご利益満載じゃないですか(笑)

四郎ヶ島台場へ

女神大橋を渡って5分ほどで、

神ノ島町に到着します。

これから行く、四郎ヶ島台場は、

文化遺産オンラインという

日本の文化遺産を網羅した

素晴らしいサイトの江戸時代の地図で

よく分かりますので、お借りしました。

広域図。

右側の島の右上あたりが、

女神大橋の東端になります。

そして、この左端を拡大したのが

こちらです。

左が四郎ヶ島、右が小島で

どちらにも台場(要塞)がありますね。

神ノ島から台場への堤防は、

江戸時代の石垣がそのまま

残っています。

近影。

反対側から四郎ヶ島を臨む。

島の先端まで石垣が、

続くのが分かりますね。

そして、島へ・・・

途中には内側の石垣が

多く見られます。

四郎ヶ島付近の石垣。

海辺なのに、

150年以上もよくこの状態で

残っていたものですね!

明治時代に建てられた

「長崎要塞第一地帯標・・・」

ここが四郎ヶ島台場だった事を記したのか

それとも明治政府の軍事基地としての

ものなのかは不明です。

小島側の石垣は崩れています。

亀の形をした小島。

生い茂った道をかき分け、

島の反対側(南側)へ。

ここにも石垣がいい感じで

残っていますね!

この先端部分の裏側には

高石垣的なものが残っているのですが、

生い茂ったジャングルに

気力が無くなりあきらめました(笑)

四郎ヶ島から神ノ島へと戻ります。

鍋島直正の偉業の一つに触れて、

いっそう佐賀藩に興味が湧いてきました。

長崎県なのに佐賀を考えてしまうとは、

長崎の人ごめんちゃい(笑)

 

  関連記事 - Related Posts -

 

  最新記事 - New Posts -

 

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください