住吉神社(山口県下関市)後編
石造物萌え(笑)
以前、神前結婚式の
仕事に携わっていた関係で、
下関の住吉神社には数回
訪問していましたが、
やはり仕事で参拝(訪問)するのと、
興味を持って参拝するのとでは、
全く違います。
何回も来ていたのに、
見えてくるのは、
初めて知るものばかりで、
その中でも、西参道にある
いくつもの石造物は、
僕を大いに喜ばせてくれました。
西参道
住吉神社には表参道の他、
駐車場からの近道でもある
西側から本殿に向かう参道があります。
西参道の社頭。
鳥居は明和六年(1769年)、
灯籠は寛政十一年(1799年)の寄進。
どちらも美しいまま保たれています。
のっけから古いものに歓迎してもらい、
歓喜にむせぶ僕(笑)
鳥居をくぐったすぐ左側に
古い手水鉢を発見。
文化十一年甲戌と刻まれていますので、
西暦1814年の寄進です。
手水舎。
年代はわかりませんが、
おにぎり型とでも言うのか、
可愛らしい素朴なデザインの手水鉢も、
かなり古そうですね。
手水舎の奥にある
「宮地築始記念碑 神籠石」の案内。
こちらが神籠石。
古代朝鮮式山城を神籠石と言うのとは、
全く違う意味で使われている言葉ですね。
神籠石右奥の境内社、
「検非違使社」。
検非違使社のすぐ右、
本殿横に建つ鐘楼。
国指定重要文化財の梵鐘自体は、
宝物殿に収蔵されていますので、
ここにはありません。
本殿東側の社叢
住吉神社の敷地は広大で、
見所も数多くあり、
全部を巡っていたら、
他の神社に行けなくなります(笑)
というわけで、
東側は僕にとって、
代表的な場所だけを散策します。
西参道から拝殿、本殿の前を通り、
東側の社叢へ。
境内社の鳥居。
天保十三年(1842年)寄進で、
「蛭子神」の神額が掲げられています。
右側の境内社には、「田尻社、若宮神社」
「蛭子社」「七社」が、
左の独立した境内社には「高元社」が
祭られています。
鳥居に「蛭子神」とありましたので、
元々は「蛭子社」だけだったのが、
合祀などで、ここに集められたのかも
知れません。
御神木の大クス
さらに東側にいくと
そこは「森」の様相を呈してきます。
妻が「なんか気を感じる」といった場所。
僕は「木を感じる」位でしたが(笑)
「御神霊樹 大楠」の案内。
奥の石柱には
「武内大臣手植楠」の文字が。
神功皇后を補佐していた、
武内宿禰の事でしょうか・・・。
この形相(という表現がふさわしい)
歴史の凄みと楠の生命力が、
同時に伝わってきますね。
こんな古木が大好きな妻が祠に参拝。
お賽銭を入れる所がなかったので、
鳥居の上に置かせていただきました。
落雷の跡でしょうか・・・
これこそ、この御神木の魅力です。
根っこ部分が焼けたり、
裂けたりしたは思えないほど、
幹の先端にかけては、
生い茂っています。
この凄まじい生命力、
僕も見習わなくちゃ(笑)
稲荷神社
御神木に相対して鎮座するのが、
稲荷神社です。
参道。
参拝。
御社殿を背にして楠を撮影。
厄割玉お祓い所
稲荷神社から本殿に戻る途中にあるのが、
厄割玉お祓い所です。
さきほど参拝した
蛭子神の鳥居の向こう側です。
「厄割玉お祓い所」
厄割石に向かって陶器のようなものを
投げて、厄を落とすというもので、
投げる場所は、「厄」の種類により
地面の石版で決められています。
「女性本厄」は厄割石の正面で、
狙いが定め易い場所。
「その他厄祓い」はその左、
そして、「男性本厄」は
一番当てにくい?左端(笑)
レディースデイ、女性限定デザート無料
女性は飲み会の会費が安い(笑)
などなど日本における多くの女性優位は、
こんなとこまで波及しています(笑)
男性の皆さん、
頑張って厄祓いしましょう!
表参道を通って駐車場へ。
これで、住吉神社の参拝は完了です。