夢の小夜島(福岡県宗像市)

 

500年前と同じ海岸線

江戸時代などの地図で、

日本の海岸線を見ると、

その多くが今よりもかなり

内陸部になっています。

一つ例をあげれば、

福岡市の住吉神社などは、

江戸時代初期には

海岸線にあったものが、

いまでは神社からは、

海など全く見ないほどの

奥地(笑)となっています。

鎮座地は変わっていないのに

海岸線がはるか海側に

行ってしまったという事ですね。

そんな事も多々ある中、

この大島の海岸沿いにある

夢の小夜島は、

500年ほど昔から

ずっと同じように存在しているのです。

大島の海岸線は、昔から

ほぼ変化が無いということでしょう。

海面の変化や干拓、埋め立てなど

そんなものが無く、

自然に手をつけず、時が流れ、

昔の姿をそのまま留めている事こそ、

大島の一番の魅力なのかも

知れませんね。

夢の小夜島(さよしま)

大島交流館の目の前の海に

浮かぶのが夢の小夜島と名付けられた

小いさな島です。

名前の由来はここに書かれた通り、

室町時代の連歌師「飯尾宗祇」の

「筑紫道中記」に詠まれた島で、

福岡市博物館のサイトによると

この旅は、大内氏のバックアップの元、

文明十二年(1480年)

山口から太宰府までの往復36日間の

旅をしたときの日記と書かれていますので、

冒頭で書いたように

500年以上も昔から

そののままの形で島が

残っている根拠にもなっています。

海岸からの遠景。

潮が少しづつ引いてきたので、

島に渡れそうになってきました。

島の東側海岸から。

 

 

朝、バスでここを通過した時には

満潮で島は海中に「浮いて」いたのですが、

僕たちが行った時間には、

潮が引いて、

遂に島に渡る事が出来ました。

なんという運が良いこと(笑)

朱赤の鳥居が、

中津宮の織女神社にあったのと

同じく向かって右側が跳ねたように

太くなっているのは、

何か意味があるのでしょう?

いつかは解明したいものですね。

そして、島の頂上を見ると石祠(社)が

見えています。

ズームで撮影。

登ることは難しそうだったので、

下からの参拝です。

御祭神はどなたなのか、

案内はありませんでしたが、

大島交流館で出会った

寛政9年(1797年)の大島図には、

ちゃんと明記されていました。

右下の小さな湾の中の小島が、

現在の夢の小夜島で、

そこには「道祖神」と書かれています。

ここで、ツーショット。

島の西側の岩礁帯も

なんか宇宙的な造形ですね。

岩礁帯から見た夢の小夜島。

海の道

「海の道」は、

「大島まっぷ」というパンフレットの

観光案内地図の中に

このような文章で紹介されています。

「恋愛パワースポット

海が引いた時だけに現れる道。

カップルの仲をさらに

深めてくれるという恋愛スポット」

なるほど!恋愛スポットですよ(笑)

そして、僕たちが行った時間、

夢の小夜島と同じく

その道が現れていたのです。

「海の道」

僕たちの仲を

さらに深めてくれる?・・はず(笑)

岩場にある石碑とお社?

石碑は、大正時代には皇太子だった

昭和天皇のヨーロッパ行幸記念碑で、

大正10年と書かれています。

そして、祠のようなものと思ったのは、

こちらの不動明王でした。

かなり優しいお顔ですね。

次に別の岩場も散策。

石祠が見えます。

文殊菩薩。

何やら洞窟的な雰囲気の岩を

妻が見つけたので、行ってみる事に。

腹ばいになれば通れそうですが、

ビショビショになるのは間違いないので、

撮影のみの散策です。

海の道から見た夢の小夜島。

島の向こう側には、

大島交流館も見えています。

今日の癒やし

岩場に佇むアオサギ。

やっぱりサギちゃんには

癒やされまくる僕たちでした。

 

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