洲本城(兵庫県洲本市)後編

 

三熊山園地

三熊山に建つ洲本城は、

三熊山園地として、

外郭を含めた整備がされています。

案内の文章を抜粋すると、

「三熊山園地は、

国の史跡洲本城跡(現在地)、

大正時代には島民の

祭典の場としても栄えた

競馬場跡を整備した

三熊いこいヶ丘、展望台、

東園地からなります。」

このようになります。

なんと、

競馬場まであったのですね!

東京の上野公園にも

競馬場があったそうですが、

明治維新後の日本に於いて、

競馬場を作ることが、

西欧化の一つとしての

象徴だったのかも知れません。

西門

本丸界隈をうろついた(笑)後は、

西の曲輪の手前にある

西門へと向います。

ここからスタート。

西の曲輪側から見た西門。

崩れた部分もありますが、

よく石垣が残っています。

八王子神社

天守台と東の丸の間には、

「八王子木戸」と呼ばれる、

城門の一つがあります。

この木戸(門)を出たところに

鎮座するのが、八王子神社です。

御祭神などは不明ですが、

参道脇には境内社が、

ズラリと並んでいます。

その鈴の緒を見ると、

本丸の「芝右衛門大明神」と同じく、

喜劇役者の藤山寛美さんの名前が・・・

洲本城との関係性はわかりませんが、

藤山寛美さんは、

洲本城の神様たちを

崇敬されていたのでしょう。

さらに参道を進みます。

大きな岩の中にお社が見えています。

御祭神などはわかりませんが、

大きな磐座自体が神様とも言えそうです。

参拝。

参道脇の巨石内には

境内社があります。

大山積神社に参拝。

参道を戻ると、

木戸(門)の石垣が見えてきます。

八王子木戸(門)。

東の丸二段曲輪

木戸を出て左に折れ、

東の丸の石垣へ。

食い違い虎口のように見えますね。

曲輪から振り返って

天守台方面を撮影。

日月の池を通って駐車場へ。

この後は車で麓の遺構である

金天閣へと向います。

金天閣

麓に残る遺構の一つで、

江戸時代初期に

建てられた御殿の一部を移築したのが、

金天閣です。

金天閣は、

国瑞彦(くにみずひこ)護國神社の

本殿裏にありますが、

正直、この駐車場に

停めていいのかどうか、

迷った挙げ句、空いてるスペースに

置かせていただきました。

まずは参拝。

主祭神は、蜂須賀家政公、

配祀神は、蜂須賀茂韶(もちあき)公、

洲本市出身の御英霊の方々です。

豊臣秀吉の与力で、

蜂須賀小六とも呼ばれた、

蜂須賀正勝の嫡男が家政さんで、

徳島藩の藩祖にあたる人。

茂韶さんは最後の藩主です。

最初良ければ終わり良し、

最後よければ全て良し・・・

蜂須賀家が、江戸時代を通じて、

改易もされず、転封もなかったのは、

やはり「全て良し」ですよね!

本殿裏側に建つ金天閣。

金天閣と書かれた表札。

金天閣の案内。

文章を書き出すと、

「寛永18年(1641)

阿波藩主、蜂須賀至鎮(よししげ)が

三熊山北麓の洲本城内に

建てたと伝えられている。

江戸初期の書院造の貴重な一例である。

明治以降の数度にわたる移築の中で、

改変の跡も見られるが、

内部はほぼ当初のままである。

床、脇床、書院構(かまえ)、

納戸構(帳台)を備え、

黒漆塗の折り上げ格天井に

金箔が貼られていることから

金天閣と呼ばれている。

納戸構や違棚に打たれた

蜂須賀家紋(左卍紋)入の飾金具

並びに間仕切欄間の意匠彫刻は

江戸時代初期の特徴をよく示してり、

県下に遺存する数少ない殿舎建築として

貴重である。」

このようになります。

逆光の中、反対側からも撮影。

金天閣と三熊山の上に建つ、

洲本城のミニ天守。

これでは、ほぼ見えませんので、

ズームで撮影。

なかなかカッコいいな~!

これにて洲本城の散策は完了です。

 

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