高城神社(埼玉県熊谷市)後編
超レア
高城(たかぎ)神社の境内では、
全く狛犬を見かけませんでした。
(見落としかも知れませんが)
狛犬がいないのは、
奉納する習慣自体が
無かったからかも知れません。
ある意味「超レア」な神社さんですね。
本殿へ
手水舎の精巧な龍神様の彫刻に感動した後、
ようやく本殿の参拝へ。
拝殿へ。
亀の石像。
神社のサイトによると、
東日本大震災の復興と
第62回式年遷宮の奉祝事業として、
平成26年に建てられたそうです。
寛文十一年(1671)再建の拝殿。
広い向拝のお陰で、
雨にも濡れずゆっくり参拝。
柱の彫刻も手水舎と同じですね。
拝殿右斜から撮影。
ここで発見したのが、
こんなものです。
拝殿屋根の上(横?)に立つ棒。
その先端には榊のような
葉っぱの塊があります。
避雷針ではなさそうだし、
これはいったい何でしょう・・・?
拝殿側面から見ると
向拝の長さがよく分かります。
巨木と御社殿。
玉垣から本殿にご挨拶。
本殿も寛文十一年(1671)
阿部豊後守忠秋の再建です。
本殿の真後ろから。
玉垣内にも木々がそびえています。
二の鳥居メモリアル
本殿参拝後、
社叢を眺めていると
木々の向こう側に
鳥居のパーツを発見しました。
足元がぬかるんでいるので、
慎重に歩く予定が、
結構滑りまくりでした(汗)
それでも何とか、
こけずに鳥居に到着。
笠木と柱。
由来碑。
これを書き出すと、
「この石は、小松石(安山岩)で、
参道の第二鳥居のものである。
1670年(寛文十年)に
旧忍城主阿部豊後守忠秋が
献納したものであり、
原寸は高さ4.9m、横6.6mで、
基礎は根巻きを含め三段になっていた。
1998年(平成10年)10月7日に
事故により破損した。
この由を後世に伝えるために
ここに第二鳥居の柱と笠木を置き、
由来碑とする。」
このようになります。
境内社
次に境内社へ。
拝殿向かって左側の境内社。
左から、
伊奈利大神、鹿島大神・香取大神、
大國主大神、八幡大神、
琴平大神、白山大神。
近隣のお社を合祀したものでしょう。
また、「伊奈利」は「稲荷」の事で、
伏見稲荷大社のサイトでも
「伊奈利」の文字はよく見かけます。
御祭神不明の境内社。
石祠に参拝。
その背後にあるのが、
こちらの案内です。
熊野神社の由緒。
要約すると
「永治年間(1141~1142)、
この付近一帯に熊が出没、
農民を脅かした。
熊谷次郎直実の父直貞が、
この熊を退治し、熊野権現を勧請、
社を建てた。
明治40年、高城神社の境内社となる」
このようになります。
鳥居をくぐって本殿へ。
参拝。
次に、天神社へ。
参道。
天神社なので、
御祭神は菅原道真さんかと思いきや、
少名彦名大神です。
参拝。
案内には、
「当社玉垣内の赤石は
御神徳、御神意の宿った石として
これを拝借し「丈夫な歯がはえますように」
との願いをこめてお食初めの儀式を行い、
赤石は二個(倍にして)返納する習慣が
受け継がれています。」
このように書かれていて、
奉納社の赤石が敷き詰められています。
神社から何かを持って帰って、
祈願成就のあかつきには、
それ以上のものを
お返しするという習慣、
日本にはよくありますが、
これが贈り物文化の
根底なのかも知れません。
最後に拝殿の向拝下にてツーショット。
この後は、駐車場に戻り、
そこから鉢形城を目指します。