高橋紹運首塚伝承地(筑紫野市)
高橋紹運の墓所は5箇所
半年ほど前に地元の
古賀市歴史資料館で行われた
ここで紹介されていた
高橋紹運の墓所・菩提寺は、
全部で5箇所です。

1 天叟寺(柳川市)の位牌と供養塔
2 紹運寺(大牟田市)の供養塔
3 西正寺(太宰府市)

4 伝岩屋城二の丸跡墓所(太宰府市)
5 伝高橋紹運首塚(筑紫野市)
彼の死から450年近く経っても
色褪せる事なく、
大切に供養されているところが、
衰退した大友氏を決して見限らず、
最後は命を持って支えた
高橋紹運の人徳なのかな?
般若寺周辺の文化財
岩屋城から車で首塚を目指すも
Googleマップでは到達出来ず、
近くの案内板を頼る事に。

般若寺跡を中心に
この界隈は歴史の坩堝なんですね!
注目は、
菅原道真の子供二人紅姫供養塔と
熊麿の墓です。
熊麿は太宰府に来て、
道真さんよりも先に亡くなっています。
その悲しみと心労もあって、
程なくして道真さんも
亡くなったのかも知れません・・・
そして・・・
高橋紹運首塚のありか(笑)も
このマップのお陰でほぼ確定です!
高橋紹運首塚伝承地
案内板から実際の首塚までは、
近くではあるものの
車では大回りする必要があり、
迷った僕に、
「さっき通った所から行けば?」
と指南してくれた妻のお陰で、
なんとか行き着く事が出来ました。

丘の上の伝承地。

案内板と首塚。

案内板を書き出すと
以下になります。
「この塚は、天正十四年(1586)
大友氏と島津氏との合戦で、
岩屋城(四王寺山中腹)にて
全員玉砕という壮烈な戦闘を行い自刃した、
城主高橋紹運の首をとり
実検しこの地に埋めたと
筑前国続風土記に記されています。
また、紹運は辞世を次のように
残しています。
流れての末の世遠く埋れぬ
名をや岩屋の苔の下水(紹運記)」
筑前国続風土記は、
福岡藩の学者、
貝原益軒が著したものですが、
岩屋城の戦いから100年位後の
編纂ですから、
忠義を重んじる江戸時代だからこそ
紹運さんの「忠義心」は、
大いに称賛されていたのでしょう。

参拝。

斜め後ろから。
打ち込み接ぎと
切り込み接ぎのミックスっぽい石垣は、
江戸時代のものなのかな?

参拝後、
首塚に思いを馳せて、
高橋紹運の魂を感じる妻・・
紹運さん、安らかに・・・