鷹匠町武家屋敷「武鷹館」(館林市)
県境
栃木県と群馬県の県境は、
とにかく入り組んでいたというのが、
旅の印象です。
栃木にいたと思ったら、
いつの間にか群馬だった、
なんて事もあり、
正直、館林市が群馬だったか
栃木だったかも忘れる程です(笑)
鷹匠町長屋門
先人の情報で、
「田中正造記念館には
駐車場が無いので、
近くの大手町市営駐車場に停めて
訪問するのが良いですよ」
こんなフレーズを見ていたので、
その通りにしてみました。

「1 商店街利用者のための駐車場です。」
この一文がどうも気になりながら
記念館は商店街の範疇に入るのか?
などと思いつつ歩いて行くと、
長屋門の先に、
こんな案内を見つけたのです。

あるじゃん駐車場!(笑)
これは利用するしかないと思い、
僕一人先程の大手町の駐車場へと戻り、
ここに車を移動し、
心置きなく田中正造記念館へと
歩き出そうとしたのですが、
やはり「長屋門」なるものが気になり
まずはそちらを散策する事に。

駐車場(左)&長屋門。

タヌキさんもお出迎え。
ここ館林には昔話、
「分福茶釜」ゆかりの寺、
「茂林寺」があるので、
タヌキさんという訳です。

電柱と長屋門。
町名が「大手町」なので、
昔ここは「大手」(城の正面)
だったのでしょう。

斜めから見た長屋門。

正面。

表札。
説明板などは見当たらず、
由緒なども不明です。

敷地内から見た長屋門。
左側の部屋では「日本語教室」(多分)が
開催されていましたので、
ここは単なる見せ物ではなく、
市民が利用できる
施設なのかも知れません。
そして、
この部屋のさらに左側の木の下で
出迎えてくれたのが、
こちらのお方です・・・

黒猫ちゃん!

さらに引きで撮ると、
綺麗に刈られた芝生と長屋門が、
実にいい感じです。

敷地の端っこにある石碑には、
「十五周年記念」と刻まれています。

裏側。
大正十四年九月の建立ですが、
内容はよく分かりません。
鷹匠町武家屋敷「武鷹館」
長屋門を散策後、
田中正造記念館へ歩いていると
またまた武家屋敷風建物を発見!

かつては館林城の城域だった所、
その昔を彷彿とさせてくれますね!

「鷹匠町」
「鷹匠とは、鷹を訓養し、
鷹狩に従事する役職名で、
この通りに面した町並は、
鷹匠町と呼ばれ、
鷹匠の居住していた所である。」
このように記されています。
鷹匠と言えば、
徳川家康の家臣かつ相談役的な
存在だった本田正信が若かりし頃、
三河一向一揆鎮圧後に出奔し、
その後、帰参を許された時、
鷹匠をやっていたという話を
思い出します。
鷹匠にさせたのは、
家康が好んだ鷹狩りに同行させる為の
名目だったのかも知れませんが・・

「鷹匠町武家屋敷「武鷹館」
「館林市は、館林城とその城下町を
中心に発展してきたまちです。
館林城は、沼と水を利用した平城で
「城沼」を自然の要害とし、
沼に突出する舌状台地を区切って
本丸・二の丸・三の丸などの
城の中心部を造り出していました。
今の向井千秋記念子ども科学館
・館林市役所・館林市文化会館
周辺にあたります。
当時の館林は、城を中心に、
本丸や二の丸・三の丸などを取り囲むように
武士が居住する「侍町」があり、
その西の台地上に職人や商人の
居住地で商業活動の中心地である
「城下町」が広がっていました。
城下町は、一番外側を寺社などで守られ、
さらには城と町全体は
土塁と堀で囲われるなど、
外敵からの防護に配慮した
構造となっていました。
旧城下町は現在の館林市の
市街地になっています。」
このように記され、
現代の地図で見てみるとこんな感じです。

Googleマップで確認。
沼を利用した館林城の縄張り、
今でもその面影が大いに残っています。
ちなみに長屋門で書いた、
茂林寺もJR館林駅の南隣の
茂林寺駅近くに位置していますので、
館林城からすると「裏鬼門」の
西南に位置しますので、
江戸時代には鬼門守護としても
重要なお寺だったのでしょう。

正面(正門)。

公開日は土・日・祝日。
僕たちが行ったのは平日なので、
門中へは入れないものの、
外観は低い板塀の上から、
しっかりと見る事が出来ます。

案内板を抜粋すると
以下になります。
「日本遺産「里沼」構成文化財
旧館林藩士住宅(館林市指定重要文化財)
■市重文指定 平成11年10月18日
■員数 1棟
■所在 館林市大手町1617−1
■時代 江戸時代
旧館林城の侍町の一つである
「外伴木」(現在の尾曳町)に現存した
館林藩の中級武士の住宅です。
木造茅葺の平屋建の建物で、
部屋を横一列に配置する
武家特有の間取りが特徴です。
おきさは間口8間半、
奥行4間半、建坪は28坪あります。
棟札が見つからなかったことから
江戸時代後期のものと考えられています。
群馬県内に残る数少ない武士の住宅で、
江戸時代の建築様式や
武家の暮らしの様子を伝える
歴史的な建造物です。
茅葺の屋根には、沼辺に生息する
ヨシなどが利用されてきました。
明治維新後、士族授産による
城沼の開発に多くの館林藩士たちが
かかわったことを示す
貴重な文化財です。」

側面の門。
壁の案内に注目。

Wikipediaで調べると
田山花袋って館林の出身だけど
生まれた当時、館林は、
「栃木県」だったそうで、
その後「県境」が変わったので、
「群馬県出身」になったようです。
どうりで、
群馬と栃木の県境、
入り組んでいるはずだわ〜(笑)