大木喬任生誕地(佐賀城一周)

 

地味キャラ

佐賀の七賢人

(枝吉神陽を含む八賢人)の中で、

目立たない存在の大木喬任おおきたかとう

佐賀城本丸歴史館の寸劇でも、

「地味キャラ」で紹介されていました(笑)

この日の寸劇はたまたま大木喬任が主役で、

旅立つ喬任に藩主、鍋島直正(左)が、

直々にお酒を注いでいる場面です。

ちなみに喬任さんは、

「本とお酒があれば他に何もいらない

クールな「地味キャラ」」

パンフレットには、

このように書かれていていますが、

その実績は、決して地味ではなく、

華々しいものだったようです。

生誕地碑

喬任さんの生誕地は、

佐賀城の東側の住宅街の一角にあります。

鍋島直正公銅像から歩いて5〜6分、

江戸時代の佐賀城の東堀が、

今の2倍ほどの幅だったとすれば、

お城に面してかも知れません。

到着。

車用の門は閉まっているものの、

人が通れる配慮があるので、

難なく入ることができます。

「大木喬任生誕地」

以下、全文です。

「大木喬任、1832(天保三年)〜

1899(明治三十二年)は

この地に生まれ、

佐賀藩校弘道館に学んだ。

枝吉神陽らの影響を受けて勤皇の志を抱き、

「義祭同盟」に参加、

中野方蔵・江藤新平らと親交を結び

佐賀藩の勤皇運動に参画した。

明治維新の大業成るや新政府に招かれ、

江藤新平とともに江戸遷都を建議し

これを実現させるために奔走した。

のち民部、文部、司法各卿、

文部・司法両大臣、枢密院議長などを

歴任したが、

特に文部・司法は大木の独壇場と称され、

1872(明治五年)初代文部卿として、

「邑に不学の戸なく、

家に不学の人なからしめん」の

学制を公布し、

近代教育の基礎を築いた功績は大きい。

大木遠吉は高遠の三男で、

政治家として嘱望され、

司法大臣などを歴任した。」

寸劇でもありましたが、

江藤新平と大木喬任は、

家同士の付き合いもあったようで、

今から8年前に行われた

明治維新150年を記念する、

肥前さが幕末維新博覧会」での野外展示、

「偉人モニュメント」でも

二人仲良く展示されていました。

左が江藤新平、

右が大木喬任です。

屋敷跡の広場には、

大木喬任(左)とその息子、

大木遠吉(右)の石碑が建立されています。

まずは喬任さんへ。

漢文なので読む気は失せますが(汗)

喬任さんの業績、功績の

案内になっているようです。

案内は先ほどの内容とほぼ同じです。

「温厚で実行力のある人物で

信望を集めました」

このように記され、

「酒好き」とは書かれていません(笑)

正面から。

大木遠吉の石碑。

大木天頼と刻まれていますが、

これは大木遠吉の「号」だそうです。

父、喬任と同じく明治政府入りし、

司法大臣、鉄道大臣を務めています。

 

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