瀧神社(大分県玖珠町)

 

平成の大嘗祭

昨年は新天皇陛下即位により、

令和の大嘗祭が行われましたが、

今より、30数年前、

平成の大嘗祭に於いて、

亀卜(亀の甲羅を焼いて占う方法)で

「主基(すき)田」に選ばれたのが、

ここ玖珠町の水田でした。

Wikipediaによるとその場所は、

「大分県玖珠郡玖珠町大字小田

大田主:穴井進」。

大田主というのは、

田んぼの所有者の事です。

そして、その時の神事は、

ここ瀧神社にて行われていて、

その時の瀧神社の宮司さんも

同じ穴井さんという名字だったようです。

ご親戚なのかな?(笑)

実は瀧神社には、

その主基田に選ばれた時の

立派な記念碑があるのですが、

それを知ったのは訪問から3年後、

このブログを書いている今です(笑)

参拝時、僕はそれに全く気づかず、

従って写真も残していません。

また行くしかないか?

瀧神社へ

瀧神社が鎮座するのは、

「瀧」の名前の通り、

三日月の滝のほとりです。

神社の反対側から撮ったもので、

対岸の森が瀧神社の社叢です。

社頭。

観音堂。

案内。

その後半部分には、

「その姿より歯痛の観音様と信仰され

瀧神社の江戸期の神仏習合時代の

名残を残すものです」

このように書かれています。

歯痛?

気になって覗いてみると・・・

お~確かに!納得。

こんなポーズの観音様は、

恐らく初めてですね。

歯が痛そうな表情も親近感が

湧いてきます(笑)

参道には無数の燈籠が、

整然と並んでいます。

二の鳥居から本殿へ。

右側の燈籠には「瀑上」と

先程の観音様同様、

これまた初めて見るものが

刻まれていますが、

「瀑」とは滝という意味ですから、

この燈籠は、

「三日月の滝の上にありますよ~」

みたいな意味なのでしょうか?

二の鳥居の右にあるのが、

木樵堂(きこりどう)。

「木樵堂の由来」

三日月の滝でも書きましたが、

ここ瀧神社は、

三日月の滝に飛び込んで亡くなった、

醍醐天皇の御孫姫、小松女院と

その11人の侍女たちを祭る、

鎮魂の神社です。

愛しい人を追って京都から

玖珠までやって来た小松女院に

「探している人は

既に結婚していますよ」

そう伝えたのは老木樵。

それを聞いて絶望した小松女院は

侍女とともに滝に身投げしてしまい、

自分が話した事で亡くなってしまった

小松女院たちのことを

身につまされた木樵もまた、

滝に身投げしてしています。

その小松女院と11人の侍女の

守護神として木樵を祭るのが、

ここ木樵堂だと書かれています。

本殿へ

まずはお手水。

手水鉢。

この頃(三年前)は

手水鉢に興味が無かったのか

詳しく撮影していません(笑)

拝殿へ。

両脇の燈籠には、

文化十三年(1816年)の

文字が刻まれています。

参道右側の狛牛。

参道左側の狛牛。

どちらも吽形ですね。

拝殿。

参拝。

個性的なデザインの注連縄。

右が拝殿、左が本殿。

本殿。

本殿前の石玉垣に組み込まれた

阿形の狛犬。

こちらは吽形。

参拝を終えてツーショット完了。

奥都城(おくつき)

神社から少し歩いた所に

小松女院と十一人の侍女たちの

奥都城(墓地)があるというので、

行ってみました。

とにかく瀧神社の燈籠は、

無限にあるようです(笑)

案内。

奥都城とは神道式のお墓の事です。

参拝。

神道式の墓石は、てっぺんが、

四角錐になっているのが特徴です。

今日の癒やし

手水鉢の下部で見つけた

オブジェに癒やされました。

フクロウ?

「不苦労」、「福来朗」などの当て字で、

苦労をしない、幸せが来る、

などと言われ、

フクロウは縁起の良い鳥。

苦労、僕はしていませんが、

家族は・・・?(汗)

 

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