瑞林寺(熊本県苓北町)

 

二つの供養碑

富岡神社に隣接する瑞林寺には、

二つの供養碑があります。

一つは、案内板の真ん中、

「三宅藤兵衛」の供養碑で、

この方は、

富岡城の城代として

天草島原の乱で討ち死にした武将で、

明智光秀の重臣、

明智秀満(左馬之助)の

遺児であったとも言われいる人です。

また、下段に書かれているのが、

天草島原の乱の後に入った代官、

鈴木重成の供養碑で、

この方は戦後復興を命がけでおこない、

今でも「鈴木様」と崇敬され、

多くの鈴木神社に祀られている方です。

鈴木重成の供養碑

本来ならお寺の正面から入るのですが、

富岡神社の社頭から歩いて

10秒(笑)くらいなので、

先にお寺の裏側に建つ、

鈴木重成供養碑へ向かいます。

お寺の隅に供養碑を発見。

参拝。

戒名(多分)などとともに、

鈴木重成公が亡くなった

「承応二癸巳十月十五日」が

刻まれています。

(承応二年は西暦だと1653年)

顕彰の言葉が漢文で刻まれ、

ほぼ理解出来ない中(笑)

唯一解ったのが、

この供養碑が建てられたのは、

翌年の承応三年だという事。

亡くなった翌年に

供養碑が建立されたということは、

間違いなく、伝説の人ではなく、

現実の賢者だった裏付けでしょう。

そして、ここで不思議な縁を感じるのが、

宮本武蔵の養子・宮本伊織が建てた

小倉碑文も同じ年、承応三年の建立で、

どちらも「肥後国」と

関係する人ものだという事実。

偶然とは言え、なんかあるのかな?(笑)

本堂へ

境内横切り、参道の岐点へ。

入口では高麗門が迎えてくれます。

高麗門の特徴である

両翼の切妻屋根を確認(笑)

石段へ。

盃状穴があるので、

江戸時代からの石段でしょう。

三門(山門)

「三ヶ所の入口があるから三門」

という事を知ったばかりの僕は、

すぐに入口の数を確認。

確かに三つある(笑)

三門右側には鐘楼。

左側は稲荷社です。

本堂に参拝。

三宅藤兵衛供養碑

参拝後、本堂の裏側にある

三宅藤兵衛供養碑を探すも

なかなか見つからず(汗)

結局見つけたのは妻。

さすが現地指南役だけあって、

いい仕事してくれます(笑)

三宅藤兵衛さんに参拝。

側面を見ると、

「冨岡城代三宅藤兵衛」

と刻まれています。

何故かここでは「富」ではなく

「冨」と書かれています。

帰路

苓北町から熊本駅まで

3時間ほどの道のりで、

渋滞があれば、もっとかかります・・・

なので、午後3時半、苓北町を出発。

途中自分土産を買うのは

忘れません(笑)

そして、渋滞もあまりなく

熊本駅に到着。

福岡方面の列車を待っていたら、

偶然、豊肥本線を走るD&S列車、

「あそぼーい!」が向かいのホームに到着。

降りてきた人たち、

楽しい一日を過ごした顔していますね。

僕たちも大いに楽しめた一日でした!

 

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