丹賀砲台園地(大分県佐伯市)前編

 

タイムリーな訪問

僕たちがここ丹賀砲台園地という、

戦時中の砲台跡を訪問したあと、

「空母いぶき」という映画が、

5月下旬に封切られる事を知りました。

史実に残る実際の「空母伊吹」は、

建造途中だった大東亜戦争末期、

戦況の悪化に伴い、建造が中止され、

戦後解体されています。

また、その空母伊吹よりも30年ほど前、

日本海軍には、巡洋戦艦伊吹が、

就航していました。

この、初代伊吹も、

ワシントン軍縮条約の履行により、

解体されてしまったので、

二代に渡って解体という運命です。

そして僕たちが訪問した、丹賀砲台に

据え付けられていた大砲は、

解体時に伊吹から取り外された

30センチ主砲のうちの一つだったのです。

たまたま映画の上映前という

タイムリーな訪問に、

何だか、引き寄せられたような

そんな気がしてなりません。

丹賀砲台園地へ

九州最東端、鶴御崎から

少し佐伯市中心部側に戻り

トンネルを抜けたあたりで右に折れると

もうそこは砲台の跡地です。

入口。

この砲台で、16名の方が

暴発事故により犠牲になられています・・・

そんな過去を持つこの丹賀砲台を

このように残してくれた地元の方々に感謝です。

昭和20年の夏に建立された忠魂の碑。

裏側には亡くなった方、16名の

お名前が刻まれていました。

巡洋戦艦「伊吹」。

当地の案内では、巡洋艦となっていますが、

就役後、巡洋戦艦というカテゴリーになり

軍縮条約でも「主力艦」の廃棄として

取扱われていいますので、

ここでは、巡洋戦艦と書いています。

砲台跡登口。

階段の横には、

地下弾薬庫から砲塔に

弾丸を運ぶ斜坑を改造した、

スロープカーが設置されています。

階段はつらそうなので(笑)

スロープカーに乗り込みます。

その名も「伊吹」!

名前が付いているだけで、

何だか気分が高揚しますね。

しかも自分で操作して、

動かせるのが楽しみの一つでもあります。

小さい子供が喜びそう・・・

いや僕も喜んでいます(笑)

伊吹から見た入口方向。

ちょっと怖い感じもしますが・・・

砲台近くに到着。

悲劇の場所ながらも、

中はちょっとお洒落な美術館という感じで、

通路の壁には色んなパネルで、

施設の紹介をしてくれています。

砲塔内部の案内。

配置図。

一斉射撃中の伊吹。

この射撃をしている主砲2基のうち

一つは、青森県の大間崎砲台として使われ、

もう一つが、ここ丹賀砲台にあったものです。

廃墟的な雰囲気ではありますが、

照明設備も完備されていて、

ここも思った以上に近代的な空間に

驚きました。

青い光。

ライトアップまでされて、

おもてなし度は抜群ですね。

悲劇の記録

砲塔があった場所のすぐ手前の部屋に、

新聞記事のパネルがあります。

「軍縮の皮肉」・・・

平和を模索するための軍縮によって、

廃棄された伊吹から転用した砲塔は、

戦争に備えられました。

その砲台が暴発したのは、

確かに軍縮の皮肉かも知れません・・・

軍縮が無ければ、16名の命は、

ここで散ることはなかったはずですから・・・

「両刃の刃」

敵を攻撃する大砲、

しかし、それを操作する側も

事故という大きな危険が伴うものです。

暴発後の遺体は、

識別出来ないほどだったようで、

改めて祈るしかありません・・・

「つらい記憶」

丹賀砲台は一時期閉鎖され、

その後、今のように再開したそうです。

恐らく、維持、運営が大変だったのでしょう・・

それにも関わらず、

つらい記憶を平和の尊さの象徴として

ここに残しているのは、

亡くなった方々の思いもあるはず・・・

砲塔へ。

砲塔井の案内。

この砲塔の下の部分に僕たちはいます。

巨大な穴。

螺旋階段で上ると、

その規模の大きさが、

実感できますね。

上から下を見ると、

吸い込まれる気がします。

最上部に到着。

この後は外に出ての散策となります。

 

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