焼きカレー発祥の地(福岡県門司港)

 

気ままな旅

二年ほど前、

会社を倒産させて、

自己破産してしまった直後、

お金は無いけど、

時間はたっぷりある僕たち(笑)

今日は何をしよう、

どこに行こうと思いつきのまま行動。

そう言えば、

門司港は焼きカレー発祥の地だったな〜

なんて思い出し、

焼きカレーを食べるために

門司港まで出かけることに。

なんと気ままだったことか(笑)

門司港へ

門司港は「行き止まり式」の駅。

なので、間違ってスピードが出たまま

突っ込むと駅のホームから

飛び出しておおごとになりますが、

この駅ではそんなことは起きていません。

多分…

いや、安全と言われる日本においてさえ、

行き止まりの駅で、

列車が120kmのスペードで

突っ込んだ事故など

そんなまさかな事が起きているから

すぐに変な想像してしまうのです(汗)

そんな痩せるほどの心配もなんのその、

無事門司港に到着!!

手前の女性は綺麗な方ですが、

残念ながらブログ掲載のマナーとして、

お顔はのっぺら坊に加工しました。

行き止まり駅らしい光景。

昔は出発の合図がこの鐘だったのですね!

今では、カップルが鳴らすようですが(笑)

ここから200mほどの場所が

元々の門司港駅です。

その時に置かれていた0哩標を

ここに復活建立したそうです。

ちなみに「哩」は「マイル」と読みます。

初めて知りました!

改札を出る前にこんなもの発見。

レトロな時代の鉄道員の制服で

撮影出来るのです!

しかも背後には人力車なんかも

置いてあって、セットは完璧。

次に見つけたのがこちら。

焼きカレーMAP

さすが、

焼きカレーの聖地だけありますね!

昔の門司港駅の写真。

この時(今でも)門司港駅は、

昔の形に戻す修復工事が行なわれていて、

工事見学デッキが設けられていました。

ここが見学デッキ入口。

確かに、間違い無く工事中です(笑)

iPadを持っている人は

こんな仮想駅舎と写真が撮れます。

やりますね!門司港駅。

駅からは国指定重要文化財の

「門司三井倶楽部」が目の前に見えます。

Wikipediaにいると

ここにはあの科学者アインシュタインも

宿泊したことがあり

アインシュタインメモリアルルーム

として当時のまま保存されていて、

また、門司区小森江が出生地の

林芙美子にちなみ

林芙美子の記念室もあるそうです。

森光子が舞台で主演していた

「放浪記」の作者、

林芙美子は尾道のイメージが強いですが、

出生地は下関とか門司とか

諸説あるようです。

焼きカレーの店へ

ものすごい行列が出来ていた店は

敬遠して、僕たちは焼きカレーMAPにも

載っていた門司港駅すぐ傍の

「プリンセスピピ」という店に入りました。

向かって1階左側が目指す店です。

ネット情報によると

「プリンセスピピ」とは、

タイ楽園の島の「お姫様」の意味。

しかも近年、タイ王国妃殿下も来店されたそうで、

凄いお店に行っていたんだ〜2年前と

いまさらながら僕らの

「引き」の強さを感じます(笑)

正面が入り口かと思ったら

横の階段から地下に入っていくのが

正式?な入店方法でした(笑)

この看板に引かれたから

入ったというのもあります。

「野菜を食べるカレー」

この殺し文句に僕はイチコロ(笑)

なんせ年間キャベツを20玉は食べ

トンカツ屋でのキャベツお代わりは

3回はするというほどの

野菜大好き人間なんですから!

地下洞窟のような店内は白で

まとめられています。

人の顔を避けて撮影したら

天井だらけになっていました(笑)

壁にはオーナーのこだわりが

ぎっしり書いてあります。

これを読むだけで、

期待度は120%増です(笑)

そして、やってきました焼きカレー!

野菜がたっぷりの焼きカレー+サラダ

このカレー、ご飯が二種類になっていて、

半分がカレーのご飯、半分が白ご飯という

ダブルの味を楽しめるのです!

その現場を撮影したのですが、

「僕がぺろぺろ舐めたスプーン」

がしっかり写っていましたので、

やむなく掲載は見送っております(笑)

至福の一品でお腹も大満足。

その後、店を出て海側に歩いていたら

そこにピピの裏側の姿を発見!

外観を撮ってみました。

へ〜ここにも入口があったんだ!

正面からだと地下ですが、

裏側からは1階になっていたんですね。

そして、振り返ると

こんな光景が見えます。

素晴らしきかな、関門海峡!

今日のしんみり

岸壁近くにあった、

「門司港出征の碑」

碑文を要約します。

「ここ門司港1号岸壁からは

200万人を超す将兵がはるか南方戦線や

大陸の戦地へと赴き、

半数の100万人は生きて再び

故国の地を踏む事は出来なかった」

…..

門司港レトロだとか

焼きカレーとか

こんな平和な時代を作ってくれた

英霊の方々に感謝しかありません。

 

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