高杉晋作終焉之地(山口県下関市)
高杉晋作と下関
下関市内をぶらぶら(笑)
していると、
「高杉晋作」の名を
所々に見かけます。
現在の山口県萩市で生まれた
高杉晋作ですが、
亡くなったのは下関市ですし、
活躍の場も同じく
下関が多かったからでしょう。
その下関で、奇兵隊を結成し、
その活躍もあって、
四境戦争(第二次長州征伐)に勝利し、
近代日本の始まりという時に、
病気に倒れ、明治維新を見ず、
27歳(数え29歳)の
短くも濃い生涯を閉じてしまいます。
明治維新の
お膳立てをするために生まれ、
役目を終えるとともに
この世を去るというのが、
高杉晋作の、
天命だったのでしょう・・・。
奇兵隊結成の地
伊崎厳島神社に行く途中、
参道脇で見つけたのが、
奇兵隊結成の地である
白石正一郎邸宅跡です。
小さいながらも
手入れが行き届いて、
気持ちがいいいですね。
白石正一郎についての案内には、
「廻船問屋、小倉屋の主人・・」
「文久三年(1863年)六月、
白石家で奇兵隊が結成されたことは、
あまりにも有名であり、
以来、彼も奇兵隊員として、
また商人として高杉晋作と
親交を深めるとともに
奇兵隊を援助した。」
このように書かれています。
「高杉晋作 奇兵隊結成の地」碑。
高杉晋作終焉之地
伊崎厳島神社と
鈴ヶ森稲荷神社の参拝を終え、
下関市内にもう一つある
「厳島神社」へ向かう途中、
たまたま見つけたのが、
高杉晋作終焉之地です。
奇兵隊の幟とともに、
152回忌ご案内の
張り紙があります。
ここに行ったのは、二年前ですから
今年(令和2年)は、
154回忌ですね。
こちらが高杉晋作終焉之地。
案内。
斜めからの全景。
また、道路を挟んだすぐ前には、
妙蓮寺の脇門があります。
二階に鐘が吊るされていますので、
これは鐘楼門ですね。
高杉晋作とのゆかりは
分かりませんが、
高杉晋作終焉之地は、
この門が目印でもあります。
道にも家紋がプリントされていて、
これも同じく目印かな?(笑)